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徳島地方裁判所 昭和49年(ヨ)81号 判決 1977年10月07日

徳島市幸町二丁目五番地

第四四号事件申請人

第八一号事件被申請人 徳島市(以下単に「徳島市」とする)

右代表者市長 山本潤造

右代理人弁護士 岡田洋之

徳島市国府町北岩延字石畑一七番地

第四四号事件被申請人 第二ごみ焼却場設置反対同盟 (以下「反対同盟」とする)

右代表者会長 木村清

第八一号事件申請人 木村清

<ほか一五八名>

右第四四号事件被申請人及び第八一号事件申請人ら代理人弁護士 林伸豪

右復代理人弁護士 枝川哲

当裁判所は右当事者間の昭和四九年(ヨ)第四四号建物収去土地明渡等仮処分申請事件(以下「第四四号事件」とする)及び同第八一号建設工事禁止等仮処分申請事件(以下「第八一号事件」とする)について次のとおり判決する。

主文

一、徳島市の第四四号事件申請を却下する。

二、徳島市は、自らもしくは第三者をして、別紙(二)「物件目録」記載の土地上に、徳島市第二清掃工場(ごみ焼却場)の建設工事をしてはならない。

三、木村清ほか一五八名の第八一号事件の右第二項を除くその余の申請を却下する。

四、申請費用は、第四四号事件及び第八一号事件を通じ、全部徳島市の負担とする。

事実

第一当事者が求めた裁判

(第四四号事件)

一、徳島市

1 反対同盟は徳島市に対し、徳島市国府町北岩延字桑添一番の一、一番の四地先国有土地(水路)のうち別紙(三)「図面(A)」のA、A'、B'、B、Aの各点を順次直線で結んだ範囲内の部分(赤斜線部分、以下「本件水路敷」とする)を、その地上の木造トタン葺平家建仮設小屋並びに木造櫓(以下これらを「団結小屋」と略称する)を収去して明渡せ。

2 反対同盟は、徳島市が別紙(二)「物件目録」記載の土地(以下「本件土地」とする)にごみ焼却場を建設することを妨害してはならない。

二、反対同盟

1 主文第一項と同旨。

2 申請費用は徳島市の負担とする。

(第八一号事件)

一、木村清ほか一五八名

1 主文第二項と同旨。

2 執行官は前項の趣旨を公示するため適当な方法をとらなければならない。

3 申請費用は徳島市の負担とする。

二、徳島市

1 本件申請を却下する。

2 申請費用は木村清ほか一五八名の負担とする。

第二当事者の主張

一、徳島市

A  (第四四号事件の申請理由)

1 徳島市は地方公共団体であり、反対同盟は徳島市が徳島市国府町北岩延地区に建設しようとするごみ焼却場の設置に反対する地元住民約五〇世帯が反対運動を目的として組織した団体(非法人の社団)にして代表者の定めを有するものである。

2 徳島市は地方自治法並びに廃棄物の処理及び清掃に関する法律(昭和四六年以前は清掃法)によりごみ等の処理の責務を負っているものであるが、従来徳島市論田町にごみ焼却場(以下「論田町焼却場」とする)を設置し、徳島市内から収集したごみを焼却処理(但し一部は埋立て処理)していたところ、社会生活や経済生活の変化に伴ってごみの量が逐次増加し、論田町焼却場のみでは処理しきれなくなった。

3 そこで徳島市は昭和四六年一一月徳島市国府町北岩延地区に徳島市第二清掃工場(ごみ焼却場)を新設することを計画し、同年一二月都市計画法に基づく諸手続を開始し、その間、予算措置(昭和四七年度より三か年継続事業で合計金八億三、四〇〇万円)、用地の購入(本件土地合計二万二、八四二平方メートル、購入価額合計金一億五、六八九万円余)、焼却炉の機種の選定(連続燃焼式焼却炉)、建設業者との工事請負契約の締結(丸紅株式会社外一社、請負金額合計金六億一、八一五万円)等を済ませ、国府地区住民の大多数の同意を得、かつ、地区住民の要望を容れて第二ごみ焼却場設置に伴なう国府地区特別開発計画(道路、耕地、下水道、教育の開発費合計金三億一、三九八万円余)を決定し、国庫補助(初年度金五〇〇万円、三か年合計金一億〇、八〇〇万円の見込み)も決まり、昭和四八年五月都市計画法に基づく徳島県知事の承認を得た。

4 しかして、右第二ごみ焼却場の建設用地は、公道からは僅かに幅員二メートルの農道が通じているのみで、公道に面している部分と公道との間に国有土地(幅員約二メートルの水路)が介在して直接公道に接していないため、工事用の車両等が進入できない。

よって徳島市は、昭和四八年二月一二日右水路の管理者である徳島県知事に対し、右水路のうち本件水路敷の部分を、水路の効用を妨げないように架橋して使用することの許可を申請し、同月二〇日県、市係員立会のうえ使用区域を確定して杭打ちを行い、同年三月八日本件水路敷の使用許可を得た。

5 ところが、反対同盟は、同年二月二三日頃、徳島県知事の許可を得ずに不法にも徳島市が使用許可を受けた本件水路敷部分を含む本件ごみ焼却場建設用地が公道に面する部分の水路全域にわたって団結小屋を建築した。

6 このため徳島市は、ごみ焼却場の建設に着手することが事実上できなくなり、以来反対同盟と継続して交渉を重ねたが、反対同盟はごみ焼却場の設置に反対の態度を変えず、遂に昭和四九年三月一九日交渉は決裂した。

7 反対同盟が第二ごみ焼却場の設置に反対する理由は、要するに、(イ)公害が発生する、(ロ)環境を損なう、(ハ)水利権者に話がなかったの三点に尽きるようであるが、(イ)については、煤塵、汚水、騒音、悪臭、有毒ガス等考え得るすべての公害に対する対策が完備されており公害は発生しないし、(ロ)にたついては、環境へのマイナス面に対しては、前記3の国府地区特別開発計画の実施によってこれを充分に補い得るものであり、(ハ)については、本来徳島市の水路使用は水路の効用を妨げないように架橋して使用することを前提としているので論外である。

8 のみならず、第二ごみ焼却場の設置は徳島市民にとって絶対的に必要なものであり、かつ、緊急に着工することを迫られている。

国家百年の大計という言葉があるが、行政のヴィジョンは遠い将来まで見通してこれに対する実際的な対応策を講じなければならない。これを市政について言えば、市民生活が行き詰まってから打開策を講じるのは遅過ぎるのであって、いわんやごみ処理の行政は現在すでに行き詰まっているのであるから、一日も早くこれが打開策即ちごみ焼却場の新設を行なわなければならない。

本件ごみ焼却場の着工が一日遅れれば、完成稼動が一日延びることになり、これによってこうむる徳島市(ひいては徳島市民)の損害ははかり知れないものがある。建設費の値上り等の金銭上の損害もさることながら、ごみの滞貨は直接市民の健康な生活を脅かし、金銭をもってしては替え難い損害をこうむるものである。

9 よって、前記許可にかかる国有土地(本件水路敷)の使用権に基づき、団結小屋の収去及び本件水路敷の明渡を、本件土地の所有権に基づき、ごみ焼却場の建設妨害禁止をそれぞれ求める。

10 (本件水路敷を含む水路が国有地であるとする根拠)

反対同盟において、本件水路敷を含む水路は「北岩延区の所有」であると述べ、その国有地であることを争っているので、以下右水路が国有地であるとする根拠を示すこととする。

(一) 明治二年の版籍奉還及び明治三年の上和命令により土地はすべて国有となった。その後明治五年太政官布告第五〇号をもって土地私有権が認められ、同年大蔵省達二五号をもって地券渡方規則が定められた。この時点ではまだ法制上はっきりした官有民有区別の標準はなかった。

(二) 明治六年三月太政官布告第一一四号「地所名称区別」によってはじめて官有地及び民有地の区分が明確になった。この当時はまだ地方自治体の制度が生まれていなかったので官有は即ち国有である。当初は用悪水路はすべて官有であり、明治七年太政官布告第一二〇号「改正地所名称区別」においても第三種官有地(第三種官有地八種類のうちの「山岳丘陵林藪原野河海湖沼池沢溝渠堤塘道路田畑屋敷等其他民有地ニアラサルモノ」に該当する)とされていたが、明治八年一〇月九日第一五四号布告で第三種民有地に「民有ノ用悪水路溜池敷堤敷及井溝敷地」が追加され、用悪水路が民有地となりうる道が開かれたものである。その後民有と認められたものについては第三種民有地として地券が発行交付されている。したがって、用悪水路のうち地券が発行されたもの以外はすべて官有のまま残ったわけである。

(三) 旧北岩延村においては明治一三年二月五日村内の民有地全部について地券の下付申請がなされ、同年六月一日地券が授与されたが、この中には水路は全然はいっていないのであって、北岩延村民は水路を民有と考えていなかったものである。

なお、町村制が公布されたのは明治二一年四月二五日であり、明治二二年四月以降全国に順次施行され、徳島県においては明治二二年一〇月一日に施行された。このときに北岩延村ほか旧九か村を併せて国府村とし、ここにはじめて町村制による国府村が誕生したのである。それ以前の北岩延村は大小区制(明治五年施行)による区としての単なる行政区画であるが、他面において村落共同体としての性格を有しており、その面においては官民という区別においては民であり、したがって北岩延村の村民が村の所有と考えていたものについては「村中」として地券の下付申請をし、地券が授与されている。

(四) 旧北岩延村内には水路が合計九反六畝一四歩四勺あり、すべて第三種官有地に編入された。本件水路敷は右のうち字桑添二三番の三用水路敷七畝一三歩の一部である。

なお、明治二四年当時の地籍簿並びに地籍図には用水路のみならず、道路、河川もすべて地番が付されていたが、その後国有の道路、河川、水路は地番が廃止され、水路は単に図面上青色で表示されるようになった。

(国府町定によると、大正二年当時水利組合所有の水路敷が国府町全体で八反二畝四歩あったとのことであるが、本件水路敷のある水路とは別のものである。)

また、現行の法制では民法二三九条二項において無主の不動産はすべて国有と定められている。

11 (本件水路敷を含む水路の管理権)

反対同盟において、本件水路敷に対する国の管理権及び徳島市の使用権を争っているので、以下この点についての徳島市の考えを示すこととする。

(一) 北岩延地区において農業を営み慣行による農業水利権を有する人々が本件水路(以下本件水路敷部分及びその周辺の水路を本件水路ということとする)を使用してきたことは認めるが、これらの人々の管理権は否認する。管理処分権はあくまでも国に専属するものである。

(二) 前記10のとおり本件水路は国有財産であり、財産としての管理は国有財産法五条、建設省設置法三条三号、八号により建設大臣が管理し、さらに建設大臣は国有財産法九条一項、同法施行令六条、建設省所管国有財産取扱規則三条及び建設大臣と大蔵大臣の協議により、これが管理及び処分に関する事務を徳島県知事に委任しているものである。

(三) 「北岩延区」の人々が、本件水路の藻刈りや泥さらえをしてきたことは認めるが、それは管理権に基づくものではなくて、水路を利用している者が水の流通をよくするための事実行為にすぎない。また、本件水路に工業用余水を排水している一部の企業から、「北岩延区」の人々が金員を受け取っているようであるが、これも何らかの権利に基づくものではなくて、前記事実行為の労務分担の意味の寄附金と解される。

(四) なお前記(二)に述べた国有財産管理はいわゆる財産管理であって、機能管理は地方自治法二条三項二号、四項、六項により、本件水路については徳島市が行なっているものであるが、水路に橋を架けて使用するような場合は財産管理に属するものと取扱われているから、本件水路敷について徳島市は徳島県知事に申請してその使用許可を得たものである。

B  (第八一号事件についての答弁及び主張――第四四号事件の反対同盟の主張6ないし8に対する反論を兼ねる――)

1 申請理由に対する答弁

(一) 第1項中徳島市が地方公共団体であって、本件土地に徳島市第二清掃工場(ごみ焼却場)の建設工事を進めようとして第四四号事件の仮処分申請に及んでいること、及び木村清ほか一五八名が反対同盟に加入し、本件土地から約四〇〇メートル以内の範囲に居住していることは認めるが、交渉経緯については争う。

(二) 第2項中公害による被害発生の点については否認するが、その余は認める。

(三) 第3、4項はいずれも争う。

2 (本件土地をごみ焼却場用地に選定した理由及び地元住民との交渉経緯)

(一) 徳島市は後述のごみ量の増加及び市内の交通事情などに鑑み、昭和四六年頃徳島市西部地区(国府、入田、不動方面)に第二清掃工場(ごみ焼却場)を新設する計画を進めていたところ、昭和四六年九月二〇日徳島市議会議員板東亀三郎(国府地区在住)から、従来交渉中の国府町早淵地区の用地買収の行きづまりと新たに北岩延地区地主九名から用地を売却し、焼却場を誘致したい旨依頼があったとの申出があり、徳島市はさっそく右地主らの同意を求めたところ、右地主らは北岩延区長に申し出て一〇月一日北岩延区役員会を開催し、全員一致で公害がなければ誘致する旨決定した。

徳島市は右旨の報告を受けたので翌二日昭和四六年から新機種で操業している高松市の清掃工場の視察を計画し、北岩延地区の区役員、地主ほか希望者の参加を求め、これを実施した。その結果公害のないことが確認され、さっそく焼却場を誘致したい旨、当時の北岩延区長らから申出を受けた。

徳島市は右申出に基づいて調査を開始し、同年一〇月一二日国府地区出身の市議会議員(五名)と協議し、その協力を求め、一一月一八日には市議会の文教厚生委員会を開いて報告するなど順次手続を進めた。

その間地元住民と面談し納得を得るべく努力したが、木村清ほか一部の反対者の同意を得ることができず、同年一二月一三日に至り、当時の楠市議会副議長のあっせんで、地元民との話し合いをし、その間一方的に事を進めないようにする旨の覚書を交し、その後はもっぱら地元住民の了解を得るべく努力し、北岩延を除く地区については、地域開発等を行なうことによって一応の了解点に達したが、北岩延地区については木村清等一部反対者が話し合いを拒否し続けたため全員の了解を得ることは望めなくなった。

しかしながら徳島市としては、第二清掃工場建設は急務であり、国府地区全体からみれば大部分の了解を得ているので、一部反対者とは今後も話し合いを進めてゆくこととして、昭和四七年一一月に至り手続を再開し用地(本件土地)を買収した。

その後反対同盟は本件水路敷上に団結小屋を建設し、話し合いを拒否する姿勢を続けるので、徳島市は反対同盟との話し合いの機会をつくるため、昭和四八年七月一六日工事着工の構えを示し、これを契機に話し合いを進めようとしたが、これまた物別れとなったものである。

(二) 本件土地周辺地域一帯は都市計画法に基づき市街化調整区域に指定されており、急速なベットタウン化は望めない田園地帯である。焼却炉予定地を基点にして半径一キロメートル以内には約三八〇戸の住宅が数えられるが、半径三〇〇メートル以内には昭和四六年当時七戸程度しか実在せず、予定地選定の一因となっている。なお、本件土地に隣接している細井正良(第八一号事件申請人目録番号93)、井原正行(同10)両氏の所有地については買収の話し合いをしたが応じるところとならなかった。

(三) 徳島市における一般廃棄物のうち可燃性ごみの昭和四八年度中発生量は一日平均約二〇〇トンであり、石油ショックで一時的に減少したが再び増加の傾向にあり、過去のデータからみて今後毎年一三%程度の増加が見込まれ、したがって、本件第二清掃工場が完成した直後には、現在の論田焼却場に新たに焼却炉を増設することが必要になる。また、将来、市の北部及び南部にも清掃工場に建設する必要が生じる見込みである。

西部地区における第二清掃工場の建設は昭和四四年当時から問題となっており、論田焼却場の能力不足及びごみ収集輸送体制の効率化から計画されていたものである。

(四) 入田、国府、不動、応神、加茂名地区等市西部で収集したごみを市中心部を通過して東南部の論田町まで輸送することは最も効率の悪い施策であり、かつ全市的な交通混雑を助長し、また市中の美観からも好ましいことではない。

本件第二清掃工場が完成し、収集地域の再編成が完了すると、西部地域の収集車両については一台当たり一往復で平均一時間程度の時間短縮が見込まれ、市民の要求である周辺地区の週二回収集並びに中心部の週三回収集の実施が可能となり、全市的な生活環境の向上に資することができる。

(五) 論田焼却場用地内に未使用の敷地があるが、第二清掃工場が完成しても、引続いて論田に第三焼却炉(日量一八〇トンの予定)を建設する必要に迫られている。また論田焼却場に隣接して徳島市のし尿処理場があるが、市中のし尿を処理し切れずに現在一日約六〇キロリットルを南昭和町の中央下水処理場に持ち込んで臨時的に処理している状態であり、早急に増設の必要がある。そして、近く河川への排水基準の改正が予想されるので、運搬予定の焼却炉の排水とし尿処理に伴う排水とを併せて三次処理施設を設置しなければならなくなることは必然的であり、論田焼却場の現有用地のみでは足りないため、隣接地を買収すべく地主と交渉したが不調に終わり、結局論田の用地に第二清掃工場を建設することは不可である。このことは環境保全のため焼却炉周辺に相当な空地を置かなければならないことからも明らかである。

なお論田焼却場の現在の焼却炉を中心に半径一キロメートルの範囲内には約一、二〇〇戸の家屋があり、また用地に接続している住宅事業所等も一〇数戸あるので北岩延よりも適地であるとの根拠は薄弱である。

(六) 反対同盟は徳島市における焼却場の分散自体にも反対しているが、中都市以上の市においては、交通事情等から順次焼却場の分散を実施ないしは計画している実情にある。

広域市町村圏については、小さな町村が個別にいろいろな施設を作ることは予算等の関係、必要性の関係でも困難ないし不効率であり、特にごみ焼却場については、ごみ量が日量二〇~三〇トンにすぎないときは、焼却場としては古い形式のバッチ炉を採用せざるを得ず、公害対策等に欠けることになるから、数か町村を併せて一個の大きく完備した焼却炉を建設するのが好ましいのであるが、このことは徳島市のごみ焼却場にはあてはまらない。

3 (公害対策)

(一) 第二清掃工場用地である本件土地は、日量一八〇トン処理の焼却炉に対して二二、八四二平方メートルもの広さがあり、焼却炉の周辺に相当な空地を置いて環境の保全につとめる予定である。

(二) 焼却炉の機種決定にあたっては特に公害問題に留意し、現在我が国における最高の設備をほどこし、煤じん、有毒ガス、汚水、悪臭、騒音等すべての面で、それぞれの規制基準よりはるかに以下になるよう設計してあり、また運営にあたっても地元と公害防止協定を締結し、常に住民監視ができるようにする用意がある。

(三) プラスチック類廃棄物の焼却によって発生する塩化水素対策としては、一部他都市の例にならって分別収集を実施する計画であり、また将来ごみ焼却炉に対し塩化水素の排出基準が定められ、除去装置が開発された時点には同装置を設置する用意がある。

(四) 第二清掃工場の水の使用量は一日平均一五六トンであるが上水道から取水することに変更したから、地下水には全く影響しない。

(五) 浴場、手洗場、湯沸場、洗たく場等の生活汚水と洗車場等の雑汚水を浄化槽に集め、規定の基準以下にして逆瀬川に放流するほかは焼却炉関係の廃水は一切放流しないので、水質汚濁の心配はない。なお、仮に、飲料水の悪化が発生すれば、徳島市は簡易水道設置等の対策をとる所存である。

二、反対同盟

(第四四号事件についての答弁)

1 申請理由に対する答弁

(一) 第1項は認める。但し反対同盟は五〇世帯ではなく、一六五戸(住民数約八〇〇人)である。

(二) 第2項は争う。

地方自治法並びに「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」によってごみ等の処理は徳島市が管轄する行政事務に属し、一般廃棄物の処理について一定の計画を定めなければならないが、法律的にごみ等の処理の責務を負っているとは必ずしもいえない。

「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」第三条においてはむしろ廃棄物のうち、事業活動に伴って生じた廃棄物については事業者自らの責任において適正に処理しなければならないと規定されているのであって、事業活動によって生じたごみについてはかえって事業者自身にその責任において処理させるようにするのが徳島市の義務である。

このような観点から、論田町焼却場において徳島市内のゴミを処理しきれなくなってきたとの徳島市の主張には疑問がある。

また右焼却場は現在残滓捨て場に使用中の広大な敷地を擁しているため、焼却炉の増設等が十分に可能であって、この意味においても徳島市の右主張には承服できない。

(三) 第3項中、ごみ焼却場を北岩延地区に新設することについて国府地区住民の大多数の同意を得たとの点及び地区住民の要望を容れたとの点はいずれも否認する。その余の点はいずれも不知。

(四) 第4項中、第二ごみ焼却場の建設用地に県道から幅員二メートルの農道が通じていること、県道と右土地との間に幅員約二メートルの水路が存在すること、及び本件水路敷について徳島市の主張のような徳島県知事の使用許可が出ていることはいずれも認める。

右水路が国有土地であること、その管理者が徳島県知事であることはいずれも否認する。

その余の点は不知。

(五) 第5項中、昭和四八年二月二三日頃、本件水路敷を含む用水路の一部に団結小屋が建築されたことは認めるが、反対同盟が建築したとの点は否認する。後記3のとおり右建造物の所有者は「北岩延区」である。

団結小屋建築につき徳島県知事の許可を得ていないことは認めるが、本件水路敷を含む水路は後記4のとおり「北岩延区」が所有し管理しているものであるから、県知事の許可は不要であり、不法な建築ではない。

(六) 第6項は争う。

徳島市との交渉経過は後記6のとおりである。

(七) 第7項は争う。

反対同盟の反対理由は後記7のとおりである。

(八) 第8項及び第9項はいずれも争う。

仮処分の必要性に関する主張は後記8のとおりである。

(九) 第10項及び第11項に対する反論は後記4、5のとおりである。

2 (市議会の議決の欠如)

徳島市の第四四号事件仮処分申請は訴え提起の効力要件である市議会の議決に基づかない不適法なものであるから、却下さるべきである。

地方自治法九六条一項一一号によれば「普通地方公共団体がその当事者である審査請求その他の不服申立て、訴えの提起、和解、斡旋、調停及び仲裁に関すること」については議会の議決が必要であるとされている。右条文には、訴訟行為の主要なもののみが具体的に列挙されているにすぎず、右条文の解釈上仮処分の申請がこれに含まれるのは当然とされている。殊に、本件のように仮処分といっても口頭弁論が開かれ、審理期間も約三年間もの長期にわたり、本案訴訟とほとんど変わらないような場合には、仮処分の目的である密行性と迅速性という要件も必要でなくなったのであるから、事後的にでも法律に規定する「訴えの提起」に準じて議会の議決を得なければならないと解すべきであるところ、徳島市は弁論終結時においても議会の議決を得ていないものである。

仮に右事由が本件仮処分申請を不適法とすべき事由ではないとしても、仮処分の必要性を阻却する事由であるといわねばならない。

3 (団結小屋所有と北岩延区)

(一) 本件北岩延用水の沿革

本件水路敷を含む水路ほか北岩延地区内にある用水路(以下これを「北岩延用水路」と総称する)はもともと「以西用水」の一部に属していたものである。

以西用水の創立は必ずしも明らかではないが、その一部は天正年間にすでに存在したといわれる。明確なのは文化八年頃、国府町の素封家手塚六右衛門が私財銀四四貫三九九匁二厘を醵金し、以西用水の管理者たる矢野、中村、府中、観音寺、早淵、和田、南岩延、北岩延、井戸、日開、池尻、敷地、尼寺、西矢野、内谷の一六か村が銀二二貫四八匁三分八厘を共同出資して、埋設木樋一七五間通称山六樋を完成して一六か村の灌漑とし、共同管理を行なってきたが、その後もしばしば莫大な出費を共同負担してその水源並びに用水路を維持管理し、明治維新以降も同様であった。

この間嘉永年間には右一六か村中一一か村が井戸、和田、北岩延、南岩延、早淵五か村に水を分与しない事態が発生し、五か村が井戸村与頭庄屋湯浅栄五郎を代表に総代をあげて一一か村と談判し水利権を確保したが、この時の用水改修には北岩延村など五か村は人夫三五〇人を出してその保全にあたった。

以西用水は自然の河川である鮎喰川の水を現在の国府町全域に及ぶ右一六か村にとって灌漑用水として利用可能な状態におくため、各村の農民が総出で働き、莫大な費用を投じて底樋、暗渠などをつくって取水口を設け、延命の月の輪に人工的水源をつくり、さらに取水口から各村へと流水を導くためにいくつもの用水路を掘さくして完成させた一六か村全域に及ぶ広大な用水路網である。このように、以西用水は一六か村という特定の農業集団の灌漑・排水を目的とした人工の農業用水路であり、文字どおり人為的な水利施設物である。

以西用水の歴史を見るうえで重要なことは、それは、自然の川や池からの流水を単にそのまま利用するのではなく、自然の河川(鮎喰川)のままでは農民は何らそれを有効に利用しえなかったため、また鮎喰川の水を利用可能な状態におくためには、単に一か村だけの事業としてはあまりにも大規模であったため、周辺の一六か村が共同して資本と労働を投下して創出した水利施設物であるということである。

北岩延用水路は以西用水の一部として開さくされたがその目的は北岩延の農民集団という特定の地域の農業水利を確保し、農業生産を増進させることにのみ置かれていたから、北岩延用水路のその後の維持・管理には専ら北岩延村があたることになり、水廻りをよくするため、新しく溜池(祖母池、石畑、五反地の池)を掘って水源地を作り(この水源のほか、以西用水の余水及び後記7(四)のとおり飯尾川―逆瀬川の逆流水を利用している。)、村落内部の灌漑をよりよくするため、以西用水路から分かれた純然たる北岩延村内だけの利益に奉仕する小規模の用水路を開さくすることも村独自で行なった。もちろんこの開さく工事に必要な費用は村(区)の農民から徴収し、それを村(区)の財源として工事費にあて、さらに村(区)の農民が労働を提供したものであって、これらの水路は村(区)民共有の財産として生み出されたのであり、こうした水利施設物は明治以降もいくつか新しく誕生した。本件水路敷を含む用水路もこのような北岩延村だけの灌漑を目的とした比較的小規模の農業用水路に外ならない。

(二) 以西用水の維持管理主体

旧北岩延村を含めた一六か村はそれぞれが独立した一個の行政組織であるとともに水利秩序を中心とした水利団体としての性格を有していた。戦国期以降の村の形成の歴史において村は水利団体を中心に組織された場合が多く、それゆえ村と水利団体とは表裏一体であったのである。これは我国の米作農業と深い関係があり、水利施設ができ田に水が引けるようになれば、そこに村ができたのである。村が年貢を収めるため収穫をあげようとすれば、水利施設を充実することが何よりも大切なことであった。それゆえ、水を中心に村の生活が成り立ち番水秩序、水利施設管理費の割当て徴収をはじめとする水の管理・利用のルールを中心に村のおきて(村法)が形成された。

このように、水を中心に運営された村落共同体は水利団体そのものに外ならず、村の集会(寄合・総会)の決議にしたがって管理費を徴収し、水の秩序を維持し、水路の維持管理の労働に村人が参加することはあたりまえのこととされてきた。このような意味において、慣行水利権の主体としての水利団体は原則にとして一村あるいは数か村連合から成り立っていた。

そこで、以西用水についていえば、その維持管理主体としての慣行水利権を有するものは、旧一六か村連合であるとともに、各村々もそれぞれが独立した一個の水利団体として各村内の用水路の維持管理主体たる地位を有していたのであって、水利権の主体が重なりあっていたと解される。この場合、北岩延村としては基幹用水路(以西用水路)から自己の村に引水するためのやや小規模な用水路および村の中の各個人まで引水するもっと小さな用水路の設置ないし管理主体として水利権を有していたことは疑いないところである。したがって北岩延用水路についても以西用水路に属するものと、それからさらに分かれた村独自の小さな農業用水路の二種類があり、北岩延村はその両方について水利権者たる地位を有していたが、殊に後者については明白である。

なお、前述のとおり以西用水の開さくは水利団体たる各村々が共同して資本と労力を投下して完成したもので、公権力主体としての幕府あるいは封建領主の事業とは全く性格を異にしている。殊に農業用水路のように水量及び使用目的が限定され、小規模の特定地域の農民にのみ利益をもたらすような事業については各村、各農民集団の自由な管理に任せられていたのである。

(三) 明治以降における水利団体の変遷

明治期に入っても農業用水路の管理主体としての慣行水利権者たる水利団体はそのまま存続した。

即ち、徳川時代からの旧北岩延村が水利団体としての地位に基づき、本件用水の管理支配・使用収益を明治政府からも何らの規制を受けることなく継続しえたのである。

明治五年に大小区制が施行され、続いて明治一三年の太政官布告による区町村会法の制定を経て、明治二一年に市町村制が実施され、国府村が誕生した。

まだこの時点においては村落共同体としての北岩延村(区)が水利団体としての性格と地方行政事務処理機関としての性格を併せ持っていた。

しかし明治二三年に水利組合条例が施行され、以後、右の二つの機能が分離されるようになった。

ところで比較的規模の大きい以西用水を管理支配していた旧一六か村の連合体である以西用水組合(水利団体)は以西水利組合となり法人格を取得し、以西用水組合の権利はこれに承継され、明確に私的土地所有者として公認されるに至った(その後明治四一年普通水利組合法の施行により、以西普通水利組合となり、さらに戦後、現在の以西土地改良区へと発展した。)。

ところが、前記嘉永年間の水騒動からも理解できるとおり、全体的な水不足のため鮎喰川の取水口から最も遠隔地にある北岩延村はしばしば番水についての不利益をこうむり、このため、翌明治二四年ついに北延村は以西水利組合から脱退し、以西水利組合が有していた従前の権利義務を受け継ぐとともに、旧一六か村の連合体である以西用水組合の時代から旧北岩延村が独自に有していた権利を一本にまとめ、北岩延用水の水利施設及び用水路敷地を管理支配する権能の主体たる地位を名実ともに確立した。

明治二一年の市町村制の実施に伴い、国府村の一部としての旧北岩延村は法人格を否認されたが、町村制第六八条により行政区として再編され北岩延区という名称が使用されるようになった。

ここに旧北岩延村(北岩延区)は北岩延用水路を管理、支配する主体(権利者)としての性格を一層強めながら以後現在まで存続することになる。

この水利団体としての北岩延区は、戦後町村制の廃止と現行地方自治法の制定により行政区がなくなった後も相変わらず続いた。

(四) 北岩延区の組織と運営

北岩延区の組織構成は次のとおりである。

区の最高決議機関は総会と呼ばれ、区内各戸(全部で四〇数戸)から一名が出席して構成され、総会においては、主として用水路の設置・維持、管理に関する問題(用水管理費としての区費の徴収など)が討議、決議される。

また区の総会において区長を選出し(原則として選挙による。)、区長は区を代表し(任期二年)、その下に執行機関として他に評議員と会計担当者を置いている。区長は区の比較的重要な問題を評議員会にはかり相談する。会計担当者は会計帳簿を保管し、区の財政をつかさどる。

区(長)の重要な任務・行事には次のようなものがある。

イ 地方行政事務の処理(現在ではほとんどなくなり、わずかに徳島市からの伝達事項を各戸に回覧する程度である。)

ロ 共有山(林)及び用水の管理

ハ 共同労働(用水の川ざらえ、も切り、ゆる板の新設、補修橋の新設、改修、農道の整備等)の指揮

ニ 村落費(区費)の徴収

ホ 祭行事の企画及び実行(区の氏神である若宮神社の維持・管理を含む。)

区は独自の財産として用水路、溜池、山林、神社、橋などを所有し、絶えず最適の状態で利用できるように維持、管理しているが、なかでも中心的で最大の仕事はいうまでもなく用水の維持、管理としての川ざらえ、藻切り、ゆる板の設置、橋の新設、改良であり、これらについては区民が毎年二、三回総出で労働を提供し、ことにあたってきた。都合で労働を提供できない人についてはその分金銭を負担する仕組みとなっており、この負担金は区の財源に組み入れられ、労働を提供した人々の飲食代等にあてられている。

なお区費は専ら用水路や水源地の掘さく、管理、保全などの用途に使用され、また右用水路の維持等はすべて北岩延区の財政をもってまかなわれてきた。

北岩延区民以外の第三者が北岩延用水路を排水に使用する場合については区長に対して使用許可を申し入れ、区長の許可又は同意を得ており、現在まで国や県を含めてすべての人がこれを承認し、区のルールに従ってその手続をとり、かつ使用の対価としての料金を支払っている。また、北岩延区の住民であっても区の財産である用水路の利用は区長の許可事項とされている。たとえば用水路上に橋をかけることや排水についてであり、通常の家庭排水はよいが、水洗便所のとり付けは不可とされている。

(五) 北岩延区の法律上の性格

前述したところからも明らかなように、現在も北岩延地区の人々が北岩延区と呼んでいる生活共同体の法律上の性格は慣行水利権の主体としての水利団体であり、その実質は生活共同体としての旧村落集団にあたる。

(六) 団結小屋の所有関係

団結小屋の所有者は以上述べてきた北岩延区であり、反対同盟は単に築造後北岩延区の許可を得てそれを利用しているにすぎない。

団結小屋の建築は昭和四八年二月二三日頃であるが、反対同盟が結成されたのは同年六月のことである。反対同盟と北岩延区とはその性格、目的、組織、財政、運営などを全く異にする別個の団体であって、明確に区別されている。

北岩延区が団結小屋建築を決めたのは、昭和四八年二月二〇日の区総会においてである。右総会は当時の区長宮地新一氏が有線放送により各戸にもれなく連絡して招集したものであり、集会場所も恒例の、区の氏神であり区が所有管理している若宮神社であり、北岩延区以外の人(例えば反対同盟の他地区役員など)は誰も出席していなかった。ただ一人の例外は現徳島市長であり、当時市長選挙に立候補を表明していた山本氏であって、特別に出席して区民を激励したものである。

団結小屋建築については、区民が各々必要な資材を持ち寄って、区の大工の経験者が中心となって工事を行なったのであり、あえて区費から出費する必要を見なかったものである。なお、その後団結小屋は本件水路敷部分以外にも増設されたが、これらは、不動、南岩延といった周辺地域の住民が北岩延区長の許可を得て築造したものである。

よって、徳島市は団結小屋の所有者ではない反対同盟を相手に、その収去を求めていることになり、被申請人適格を欠く者に対する申請として、第四四号事件申請は却下さるべきである。

4 (北岩延用水路の所有権・管理権)

(一) 水利権の内容・効力

国民が自然の川や池の水を自由に使用している状態のことを水利権とはいわない。人間や集団が流水を自分たちにとって利用可能な状態におくためにはそこに労働や資本を投下して人為的に生み出したもの(水源、用水路など)を通じて自分たちの田に必要な水を導くのが通常であり、この水利施設物を含めた一定の流水に対してもつ排他的・独占的支配権を水利権という。水利施設物に対する支配管理権なくして用水の確保は不可能であるから、用水路そのもの(水路敷地、土揚場、水源体)に対する支配管理権こそ水利権の重要な内容を構成している。したがって、水利権の主体たる地位に基づいて有する権益は単に一定の流水を支配・利用するという限定されたものにとどまらず、広く、人工的に開さくした用水路の構成物を含めた水利施設物及び水源に対する支配管理権を必然的に伴う排他的権能である。

(二) 北岩延用水路及び水路敷地に対する管理・支配権の帰属

北岩延用水路の沿革については前記3(一)のとおりであり、その管理主体については前記3(二)ないし(四)のとおりであるところ、慣行水利権の付着したごく限られた特定の地域の人々のみに利用される小規模用水路(北岩延用水路もこれに含まれる)については、その維持管理主体は明治以降もことさら普通水利組合→土地改良区というように法人格こそなかったものの、相変らず村落共同体の自由かつ完全な支配・管理下におかれ、そのまま継続してきたのであって、北岩延区の場合も、流水を単に引水利用するだけでなく、自分たち独自の力で新しく水源地をつくって用水路を開さくし、水利施設物をたえず最良の状態にて管理してきたのである。

これまでは何人といえども水利権者として北岩延区の管理支配権を認め、用水路の利用についてはすべて区長の許可が必要とされ、北岩延区が独自に定立した用水管理、使用のルールに従って流水及び水利施設の利用を行なってきており、この北岩延区の管理支配権に対抗できるような権限はたとえ国や地方公共団体といえどもこれを行使しえず、また現実にも行使したことがなかった。徳島県は北岩延用水路を国有地と考えているようであるが、本件の徳島市に対する使用許可以前には一度も管理権者のような行為に出たことがない。たとえば、本件と同じように用水路の上をまたいで橋を架けるような場合にも、県知事に対して使用許可を願い出たものは誰一人としていない。その許認可権は水路開さく以来現在に至るまで北岩延区にあるのであって、区長の許可があってはじめて、橋を架けるような用水路の使用が可能になっているのである。

北岩延区の右管理権は、北岩延用水路が以西用水組合に属していた時代から一貫して受け継がれ、明治二四年旧北岩延村が以西水利組合から脱退した後も村落共同体としての北岩延区が水利権者たる地位に基づき、区長が代表者として許可権を行使し、区民全員が労働を提供して用水の維持管理に努めてきたが、これらは旧北岩延村(区)が町村制による国府村の一部に組み入れられた後も何ら変わることがなく存続し、北岩延区という名称で呼ばれてきた。これは、他の以西土地改良区、不動土地改良区のように水利権者が法人格を有している地域とは違い、北岩延用水路のように、小規模で専ら北岩延という特定の地域に限定された灌漑を目的とした農業用水路については、普通水利組合あるいは土地改良区といった正式な法人格を取得しないまま、村落共同体としての旧北岩延村(区)が行政組織体としての機能を次第に果たさなくなった後でも、水利団体としての慣行水利権の主体たる地位を有し、流水、水路敷、土揚場、井堰、水源地などすべての水利施設物を支配・管理し、使用収益してきたことによる。北岩延区が現在もなお水利組合としての実体を保ち実質的にもその機能を十分果たしている背景には、法人としての水利組合が存在せず、水利団体としての機能をも併せ営んできた区の仕事、行事が現在もなお必要とされ、残されているということがある。

要するに、北岩延区における過去の行政組織機構がそのまま水利秩序維持のための管理機構として残り、現実に受け継がれ、前記3(四)のとおり、北岩延区が用水路の維持管理を行ない、慣行水利権の主体として排他的支配権を有しているのであって、徳島市といえども、用水路に橋を架けるには北岩延区長の許可が必要であることはいうまでもない。国や県や市を含めて第三者が北岩延区の同意なく、北岩延用水路を使用しようとするいかなる行為に対しても北岩延区は妨害排除請求権を有するのである。

したがって、仮に本件水路敷の抽象的地盤所有権が国に帰属するとしても、徳島市は本件使用許可に基づく権利だけでは、本件水路敷に対する強力な排他的・独占的支配権を有する水利権者である北岩延区の同意なくして、それに対抗して妨害排除的効力を主張することはできない。かかる故に、徳島県知事は徳島市に対して本件使用許可を与えるについて「水利権者との紛争についてはすべて市の責任において解決することを誓う」旨の誓約書を書かせ、このような前例のない措置にとまどいを覚え、その責任を徳島市に転嫁しようとしたのである。

(三) 本件水路敷の所有権の帰属

(1) 北岩延用水路の沿革については前記3(一)のとおりであり、その維持管理主体については前記3(二)ないし(四)及び4(二)のとおりであって、講学上の水利団体である北岩延区が右用水路を慣行水利権に基づいて開さく以来排他的に支配していたこと、即ち本件水路敷に対し北岩延区が最も強い支配力を有していたことは疑問の余地がない(旧北岩延村が一六か村の以西水利組合に属していた時代においても前記3(二)のとおり、右一六か村の連合体とともに、いやそれよりも強く、北岩延村(区)が北岩延用水路を支配していた。)。

ところで徳川時代における人民が土地に対して持つ権利としては、近代的土地所有権と異なり、利用権・占有権との分離がみられなかったのが大きな特色である。つまり土地を現実に支配進退し、これを所持している者が権利(ゲヴューレ)を有していた。

そして明治時代に入って地租改正が行なわれた際に、はじめて近代的土地所有権の観念がとり入れられ、土地所有権の帰属を決定するについて、右に述べた所持権を有していた者に対して所有権が与えられたのである。つまり、明治期に抽象的な地盤所有権帰属決定の基準となったのは、その土地を支配進退し所持していた者、即ちそれまで当該土地に対して最も強い支配力を持っていた者は誰かということであり、徳川時代から土地を「所持」=「支配進退」してきて所有権の内容に最も近い強力な支配力をもっていた者が近代的土地所有権制度の確立にあたって、その土地の所右権者となるに至ったのである。

(2) この意味でいうならば本件水路敷に対して最も強い支配力を持っていたのは水利団体としての北岩延区以外にない。北岩延用水路は北岩延区の農民が自己の田に灌漑し、排水を流すために必要不可欠のものとして掘さくし、かつその後も区の規約(慣習法)に従って管理・支配・用益を継続してきたのである。なお、念のため、北岩延用水路については、以西用水組合に加入していた当時も、もっぱら具体的管理支配は北岩延区にすべて任されていたのであり、最も強い支配力を有していたのは、以西水利組合ではなく、北岩延区である。したがって本件水路敷の土地所有権を取得した者は北岩延区にほかならなかった。

(3) ところで、この所有権の主体としての北岩延村(区)は明治政府の下においては法人格は否認され、生活共同体として捉えられていたが、現実には「村」個有の財産である水利施設については北岩延村(区)が権利義務の主体たる地位を有し、石畑の溜池については登記簿上も北岩延村の所有となっている。

ところが、用水路の敷地については、その所有権の帰属が大きな問題とはならず、人民の側にも地盤所有意識が薄く、実益に欠けたため、北岩延区の方からも積極的な地券獲得の努力はなかった。

しかし、土地所有権や水利権はことがらの性質からいって私有財産権であり、我国のような資本主義国家においては国有とか公有とかいうものが例外である。特に北岩延区四〇数戸の農民集団が灌漑という生活利益のために水源地をつくって開さくし管理・支配してきた水路ないしその敷地であるということからいって、これを官有としなければならない必然性は何もない。北岩延村という特定の人民の支配するこのような土地を、そもそも官有にする実益は一つもない。

もし仮に地租改正当時北岩延用水路が官有地となったとしたならば、これを北岩延区内の農民が利用するには期限付で拝借願を出し許可を受けなければならなかったはずであるが、現在までいかなる形態で利用するにせよ国や県から使用許可を受けた者は一人もいない。事実は逆に、これらの許可はすべて水利団体としての北岩延区の区長が行なってきたのであり、国もむしろこのような北岩延区の管理を容認し、何らの規制もしていないのであって、国の所有権者としての実質は零であり、他方、北岩延区のそれは百であったのである。

(4) 徳島市は本件水路敷について、いつ何故国有地となったかという具体的事実を何も主張・立証せず、ただ抽象的一般的に、明治初期にすべての土地は国有となった→本件水路を含む水路についての地券の発行がない→公図に青線が引かれている、といった図式をふり回すのみである。

地券が発行された目的は(イ)納税義務者の確定(ロ)所有権者の確定(ハ)土地売買の効力要件、の三つであった。ところが、本件水路敷のような水路敷地については以上の三つの必要性はなかった。水路敷地は無税地であり、売買等は考えられず、農民としては税金を負担しないで自由に使用・管理、収益できればそれでよかったのであり、水路敷地について積極的に民の側から地券を求めなかったとしても不思議ではない。

地券なるものは、所有権を認定されたことの結果として与えられたものであって、所有権認定の基準ではなかった。したがって所有権の存否は地券と無関係に定められなければならない。所有権認定の基準は具体的支配の事実関係にあるのであり、したがって、所有に値する支配の事実があるのに地券が与えられないで、官有に編入されたり、逆に所有に値する支配の事実がないのに地券が与えられたとすれば、そのような措置は明らかに誤った措置として取り消されなければならないのである。

水路敷地を無税地とするという考えは地租改正の最も初期からあった(明治五年九月四日大蔵省達第一二六号)。明治六年三月二五日に公布された太政官布告第一一四号「地所名称区別」においても水路敷地は、官有地でも私有地でもなく、ただ除税地として扱われた。明治七年一一月七日太政官布告第一二〇号において官有地と民有地の区別が明確になり、その判断基準は「所有の確証」があるか否かにおかれたが、水路敷地については官有とする実益は何もなく、また人民の側にも抽象的な地盤所有意識はほとんどなかったから、所有権の帰属が明確でないまま無税地扱いがつづいた。もし、当時水路敷地が官有地第三種に編入されたとしたならば、農民が官有水路を使うためには貸借願いを出さなければならなかったはずであるが、北岩延においてはかつてそのようなことは一度もなく、また全国的にも貸借願いも出さないで従来どおり用益している例が圧倒的に多かった。

次に明治八年七月八日地租改正事務局議定の「地所処分仮規則」が制定されて、小規模の水路敷については官有とする実益がうすいので、農業生産上の用途で一個人のためでなく数戸あるいは一村(徳川時代の「村」)の便宜に供する水利敷設(用水路敷地)は民有地のままで除税地とする方針を明確に打ち出し、かくて、農民が日常の用排水に使う水路、水利権のついている小規模水路については無税のままで、かつ官の許可なく従来どおり民の慣習的管理に任せるという方針が確定した。ところが、右の方針は行政解釈にすぎなかったため、明治政府は、これを法令にまで高める必要を感じ、明治八年一〇月九日太政官布告第一五四号を公布し、「地所名称区別」を追加改正し、民有地第三種として「民有の用悪水路溜池敷堤敷及井溝敷地」を明文の上で加えるに至った。この立法の趣旨は、改租当初の段階では、不特定多数の公衆が利用する公共物としての河川敷、池、道路等と特定の人のみが排他的に支配し利用する用水路、池、道路等の区別がつかなかったために、その両者ともに官有に含まれるような誤った解釈、取扱いが一部になされていたので、その誤解を解くため、右の両者を区別し公共物たる前者は官有とするも、慣行水利権の主体たる「村」が管理するような水利施設は民有とする方針を法規の上で明らかにしたことであった。

また、偶然的事情から水利権の対象たる水利施設物の敷地が誤まって官有とされた場合でも、それは全くの形式にすぎず、実質的意味は全く持たない。それゆえに、官有となった水路敷地について官は所有権者としての実質的権限を全く行使しなかったのであり、他方、民の側においても所有権意識がうすく、また前述のとおり必要性に乏しかったため地券の発行がなかったにすぎないのである。徳島市の地券不発行即ち官有というのはあまりにも乱暴な議論である。

(5) 徳島市の本件水路敷は無主物であるから国有であるとの主張について述べると、民法でいう無主物とは誰もが排他的権利を主張しない、文字どおりの無主物をいうのであって、本件水路敷のように北岩延区が長期にわたり排他的に支配してきた土地を無主物と解することはできない。

(6) 最後に、仮に、本件水路敷が国有であり、その管理権が徳島県知事であるとしても、北岩延区が長期にわたって、区の所有であると信じて排他的支配、占有を継続してきており、その期間が二〇年を超えることは明らかであるから、北岩延区が時効によって、本件水路敷の所有権、管理権を取得したものであり、反対同盟は、右取得時効を援用する。

5 (本件使用許可処分の意義)

(一) 本件使用許可なるものの法的性質を考えるについて、まず最初に本件水路敷が仮に国有地であるならば、それは国有財産法上いかなる種類の財産であるかを検討しなければならないが、公共用財産とは「国において直接公共の用に供し、又は供するものと決定したもの」(同法三条二項)をいうが、本件水路敷は、水利団体としての北岩延区という特定多数の支配する財産であって、不特定多数の一般公衆の共同使用の目的に直接供されているものとはいえないから、この点だけからも、公共用財産とはいえない。

仮に、公共用財産と仮定した場合、それを使用するについてはもちろん国の許可が必要であるが、その根拠となるべき法律である国有財産法は第一条において「国有財産の取得、維持、保存及び運用並びに処分については、他に法律に特別の定めのある場合を除く外、この法律の定めるところによる」と規定し、建設省所管の国有財産の取扱いについては、国有財産法、同施行令、同施行細則その他の法令に定めるもののほか、建設省所管国有財産取扱規則の定めるところによるとされている(同取扱規則一条)。

ところで、県知事が徳島市に対して本件使用許可を与えるにあたり根拠とした「国有土地水面使用規則」(大正一四年徳島県令第七号)は右法律の定めに基づかないで規定された違法なものであるから、これに基づく本件使用許可処分も違法無効である。また、右規則は流水の使用が目的となっている場合に適用されるものであって、用水路敷地そのものを対象とする場合にまで拡大適用すべきではない。

右規則に基づいてなされた本件使用許可が仮に有効だとしても、その効力は、私法上の権利義務を発生させる効果を有せず、単にこの存在により、所有者である国との関係でその使用収益が不法行為とならないだけで、相手方である徳島市には何らの権利も生じない、講学上いわゆる「許可」にすぎず、「特許」のごとく第三者に対抗しうる独占的占用権を設定する効果を生じない。この点において国有土地水面使用規則でいう「使用許可」と、道路法三二条や河川法二四条に定める「占有許可」とは規定のしかたからして、その性質、効力を全く異にすることが明らかである。

(二) 本件水路敷が公共用財産でないとすると残るのは普通財産だけであるが、そうだとすると、本件のような工事用の車両進入のための架橋を目的とする無償貸付については国有財産法上に根拠がない。したがって本件使用許可はこの点においてすでに無効である。

もし強いてあてはめれば、同法二二条一項一号に規定する無償貸付の土地に該当するが、この場合には貸付の相手方は公共団体とされ、さらに国はその財産管理に注意し、管理が良好でないと認めたときには当該貸付契約を解除しなければならないとされており(同条三項)、したがって本件使用許可の法律的性質は、徳島市に対する本件水路敷の無償貸付契約(私法上の使用貸借)であるということになり、徳島市が本件使用許可を受けたことにより有する権利ないし法律上の地位は貸主である国との関係において、定められた使用目的に従って善良な管理者の注意をもって本件水路敷を使用することができるといった債権的効力を有するのみで、物権的効力を持たない。

(三) よっていずれにしても徳島市が被保全権利と構成している本件使用許可は、本件水路敷が国有であると仮定しても、第三者たる反対同盟との私法上の法律関係には直接には何らの関係もなく、徳島市に反対同盟に対抗しうる排他的効力を与えているわけではないことが明らかであって、徳島市は反対同盟に対し団結小屋の収去を請求する権利を有しない。

6 (第二ごみ焼却場設置をめぐる徳島市との交渉の経緯)

(一) 予定地(本件土地)選定の経緯

反対同盟に属する人々が北岩延区の本件土地を予定地とする第二ごみ焼却場建設計画を知ったのは、昭和四六年一〇月になってからであり、それも徳島市からの公式の説明、申入れ等からではなく土地売却予定者とその仲介的立場にある一部市議会議員からであった。当初徳島市は同じ国府町ではあるが北岩延からはかなり離れた早淵地区を選定し、公聴会を開き、用地取得に努めていたが、反対が強く、殊に土地所有者からの反対もあったため、急ぎ、北岩延区に変更したものであって、徳島市が既設論田焼却場が市東部にあるため、収集の便宜上第二焼却場は市西部に設置したいと考えていることはうかがわれるものの、右経過からみて、北岩延の本件土地について適地性、とりわけ近隣居住者の被害についての問題性を慎重に検討したものではなく、まして環境アセスメントなどの科学的事前チェックを行なっていないことはいうまでもない。水利権としてはむしろ適地として早淵地区を選定していたのに、反対が強いため、用地取得の容易だと思われる北岩延に変更したというのが実情であり、また事実、近隣居住者との距離関係からは早淵地区予定地の方が本件土地よりも適しているのであり、かつ他に適切な用地がないかどうかを真剣に検討した形跡もない。

徳島市が安易に北岩延の本件土地を予定地としたについては次のような事情があったとは推察される。一つは、当時国府町出身の市議会議員は七名であったが、北岩延地区を地元とする者はいなかったところ、早淵地区を地盤の一部とする板東亀三郎議員にとっては、同地区の住民の反対するごみ焼却場が同地区に予定されるということはその政治生命にもかかわる重大問題であり、当然これに反対の立場にあたったと思われるが、その最も効果的な反対実現方法は他に代替地を用意することであり、早淵など国府町南部の地元利益を考えて、他の議員からも反対の出ない北岩延地区に代替地工他作を進め、徳島市の本件土地取得に深く関係したものと思われる。また徳島市としても北岩延は居住戸数が少なく、反対が少ないと考えてこれに組したものと思われる。第二に、本件土地はその真中を上水道用本管が通過し、宅地化出来ないものであり、徳島市ではこれに本来の三倍以上もの買収価格を申出たため、本件土地の地主たちが売却を承知したということである。

このように、一部市議会議員の思惑、市の少数者押し切りの狙い、市の不当な利益誘導と地主らの応諾、このような諸関係が結合して北岩延の本件土地が第二ごみ焼却場予定地と決定されるに至ったものである。

(二) 徳島市の背信性

(1) 北岩延区への建設計画については、徳島市は秘密裡に土地買収交渉等を進め、その他の手続を進めたが、地元住民が北岩延地区反対者同盟を結成して圧倒的な反対を浴せるや、徳島市は昭和四六年一二月一三日「あらためて地元関係議員等とも十分協議し地元民との話しあいを進める。その間一方的に事を進めないようにする。」旨の市長名の確約をし、さらに同日深夜、市当局と議員との協議の結果、北岩延建設計画を白紙撤回することとなった。

(2) 地元住民らは徳島市の白紙撤回宣言を信じ切っていたところ、徳島市においては、反対派地元住民らに交渉、申入れ等なすことなく、以後も隠密裡に用地買収の交渉を進め、昭和四七年一一月中にこれを完了し、併行して、最も被害の大きい北岩延地区住民を放置して、被害がこれよりは軽い周辺地区住民の切り崩しを進め、一たん用地を取得するやあとは決行あるのみとの姿勢で、公害等についての十分な検討もせずに市議会で議決し、地元住民との誠意ある交渉をなすことなく、昭和四八年二月の深夜ボーリング工事へと発展した。このため現在反対同盟に結集している地域住民は北岩延、南岩延、不動など各地区で反対同盟を結成し、特に北岩延区では区自体一丸となって反対運動を行なうことになり、昭和四八年二月に区において団結小屋を構築することとなった。

(3) 昭和四八年二月二二日告示、三月八日投票の徳島市長選挙に立候補した現徳島市長山本潤造は、再三再四、第二ごみ焼却場を北岩延地区に設定することに反対の意思を表明し、山間部ないしは海岸線に設置すべき旨を言明した。このことは単に山本氏個人の私的見解というものではなく、市民の代表者に選出されるにあたって表明した公的なものであり、反対同盟に属する大部分も山本氏のごみ焼却場問題についての見解を支持し、応援したものであって、ために激戦であった同選挙において僅少差で同氏が当選したものともいえるのである。首長公選制をとる地方自治体の施策に関し、その当選候補の公約は即ち、市の新たな方針ともいえるものであって、市の代表者たる市長となった場合これを遂行すべき政治的、社会的責任を住民に対して負うことは当然であって、住民らがそのような信頼を寄せることを否定することはできない。

しかし、山本市長は、市長就任当初は地域住民らに対し公約を守るかのような態度を表明したものの、まもなく、逆に、強行着工の方針を固め、昭和四八年七月一六日突如業者を連れて強行着工にかかろうとし、反対同盟の人々らに阻止され、当日の強行を断念したが、これらの人々に強い不信感をいだかせるに至った。

(三) 第四四号事件申請直前の交渉経緯

右昭和四八年七月強行着工の試みの後、徳島市が第四四号事件の仮処分申請をなすまでの間、三回にわたり徳島市は反対同盟との交渉を持ったが、徳島市側はただ本件土地にごみ焼却場設定を認めてほしいと繰り返すのみで、公害問題についてもただ問題がないというのみであって到底誠意ある交渉態度とはいえず、反対同盟が本格的交渉に先立って、誠意をもって話合いをし、話合いがすむまで着工しないとの覚書の締結を希望したのに(これは前記(二)(1)の昭和四六年一二月一三日の前市長の確約の再確認にすぎないが、これまでの徳島市の背信的態度に鑑み、あらためて求めたもの)、これを拒否したものであって、三回とも実質的な交渉とはならず、徳島市において、単に形式だけ整えたにすぎなかった。

そして最後に、徳島市から昭和四九年三月八日付の反対同盟に対する六項目にわたる説明会開催通知状が送付されたので、反対同盟から徳島市に対し、これまでの徳島市の態度を批判するとともに、右六項目の事項についての具体的内容を文書で知らせてほしい旨の文書を送付したところ、全くなしのつぶてのまま、いきなり徳島市は第四四号事件仮処分申請に及んだものである。

(四) 交渉経緯の総括

この間反対同盟側では徳島市がその時々で説明が異なるうえ、その職員や議員も公害問題については全くの素人で、公害はないから大丈夫式の安易な俗論をふりまくにすぎないので、徳島市の責任ある詳細な専門的対策の開示を求め、その資料を要求したのに、応ずるところとならず、徳島市が地域住民に交付した文書はわずかに一、二枚の宣伝パンフレットにすぎないのであって、反対同盟側は検討の素材すら与えられていないのである。反対同盟における独自の調査等により後記7のとおり各地のごみ焼却場等の問題が判明しているのに、前記のような抽象的俗論で納得せよというのは無理であり、交渉決裂の責は徳島市にあるのであって、反対同盟側がいわゆる地域エゴによる絶対反対の態度をとったからだと徳島市が非難するのは不当な曲解である。

なお、徳島市は国府地区特別開発計画を交渉に持ち出しているが、最も被害の大きい北岩延地区がわずか四三〇〇万円で遠隔地の南岩延が七二四九万円、花園が九四三八万円となっているなど、右計画が環境整備という名のもとの周辺部の切り崩し工作にすぎないことを露呈しており、しかもその内容は、道路拡張、集会場設置など本来自治体が当然実施すべきものが、合併により新市部となった関係で遅れているにすぎないもので、これを逆手にとって利益誘導し、団結の切り崩しを行なっているのであり、また、これらはごみ焼却場による公害問題の解決とは無関係である。

7 (第二ごみ焼却場による公害の蓋然性)

(一) 総論

第二ごみ焼却場の建設が予定されている地域は鮎喰川を隔てて徳島市旧市部に接し、市街地と近距離にあるために急速にベッドタウン化しつつあり、同時に古くからの田園地帯で米作とともにホーレン草、大根など阪神青果市場最大の野菜生産地である。建設予定地の周囲一キロメートル四方において約一〇〇〇戸の戸数があり、居住者は約四〇〇〇人であるところ、反対同盟に属する者たちの中では、予定地に近いものでわずか約二〇メートルの近距離にあり、遠い者でも約四〇〇メートルしか離れていないのである。

公害対策としては、距離こそ安全の最大の防禦方法であるといわれるが、本件第二ごみ焼却場予定地の立地条件はこの観点からみて著しく不適当というべきである。反対同盟側の調査によると、県内外を問わず、他の焼却場は例外なく一般民家とは数百メートルの隔たりが保たれている。

次に、ごみ焼却場による公害の蓋然性の予測については、ごみ焼却という性質上、殊に焼却対象が多種多様であり、しかも焼却という机上能力の永続性のない特殊性があることから、単に理論上、設計上の計算でこと足れりとすることはできず、同種設備の稼働状況の実態がとりわけ重視されなければならず、この点で、品質、分量が一定している化学工場などの公害予測とは全く性格を異にするのである。そこで、本来なら、このような実態調査は徳島市においてなすべきところ、反対同盟において全国各地についてなし得る限りの調査を行なったものであり、その調査結果は以下述べる各論についての重要な根拠となっているのである。

次に、ごみ焼却場の公害予測については、現実を直視しなければならないが、その一側面としてその運営にたずさわる行政当局者の姿勢が重要であり、この意味で徳島市の既設論田ごみ焼却場の現状の検討が重要であるところ、右焼却場の立地条件は後記8(一)のとおり良好で、近くの住民も先住性を持たないが、用地には生ごみが投棄されていつも醜状を呈しており、放流される廃液は一見して有毒なドス黒いヘドロ状であり、五〇〇メートルほど離れたあたりにも悪臭がただよい、煤じんその他有毒ガスも高濃度のものが排出されていると思われ、現に環境庁委託調査によれば塩化水素の排出濃度は三五二・一PPM~五八一・五PPM(平均四五五・六PPM)であって、工場規制地五〇PPMの実に九・一倍という高濃度である。また、残滓についての分析調査の結果平均一八PPMという高濃度のカドニウムを検出している。そして焼却能力についても、昭和四一年に新設した機械炉が最初から公称能力の半分以下で処理を行なっていたにもかかわらず、三年目は設計上能力の半分以下の能力に落ちているという実情である。徳島市は焼却場から公害を出さないという基本姿勢をとっているといいながら、実際には論田焼却場を公害を無視して運営し、何らの改善策も打とうとしていない。右論田焼却場の実情のほか、前記6の交渉経過における徳島市の背信的態度、公害についての説明内容から、反対同盟としては公害発生の蓋然性は高いと考える。

なお、以下各個に述べる被害は綜合して環境悪化、さらには破壊へと結びつくのであって多面的な全てを全体的に考察して一個の総体的被害として把握すべきであることを付加しておく。

(二) 悪臭

焼却炉の型式を問わず、現存するごみ焼却場はいずれも例外なく悪臭が工場周辺にただよっているし、第二ごみ焼却場と同一型式で操業している山口県下松市の周南ごみ焼却場や群馬県沼田市の清掃工場でも同様である。悪臭はないとの徳島市の説明は事実によって否定されている。

まず、徳島市のごみ収集の実態は週二、三度というのであるから、収集の段階ですでに悪臭が発生し(夏は特に顕著)、三日分の堆積能力があるピット壕において生ごみの腐敗による悪臭発生は避けられないところである。市は送風機などで燃焼壕の空気を吸引して送り込み、ピット壕から外へ臭気が流出しないようにすると説明するが、空気量の不足で理論通りにいかないことは明らかである。因みに、ごみの日量一八〇トンを二トン車で収集運搬するとして、収集従事職員の勤務時間を午前九時から午後五時までとすると、ピット壕へ投入するための実働時間は約五時間となるが(一日八時間中昼食一時間、出発から第一回投入まで二時間とみる)、これにより計算すると三・三分に一回はピット壕のシャッターを開いてごみ投入することになり、結局、右一日五時間のほとんど常時悪臭が工場周辺に流れることになる。

次に、残灰は悪臭の凝集のような存在であり、悪臭度も強度であるから、残灰壕からの積み出し時に悪臭が流出するし、また頻繁に往復するごみ運搬車、残灰運搬車からも当然に悪臭が発生するし、さらに、燃滓冷却水壕からのくみとり時の悪臭やごみ汁の付着した運搬車の洗車時に発生する悪臭、洗車汚水から発生する悪臭、後述の排水によりドブ川化した用水路からの悪臭も重大である。そして、焼却炉故障時の敷地への生ごみ放置や、周辺敷地に対するごみの不法投棄による悪臭発生の可能性も念頭におかねばならない。なお、以上の種々の発生原因による悪臭は混然一体をなすものであることに留意せねばならない。

(三) 騒音

ごみ焼却場の騒音が、飛行機、電車、地下鉄工事などに基づく典型的な騒音に比べると、レベルは高くないことは当然であるが、右はいずれも間欠的なものであって、二四時間操業の本件第二焼却場においては、連続音であるうえに最も静穏であるべき深夜、早朝も全く休みなしに継続するのであるから、近隣居住者の受ける悪影響は甚大である。

騒音について市は夜間五〇ホンであるから問題ないとしているが、騒音によって人が悪影響を受けない限度は夜間四〇ホン、朝、夕四五ホン、昼間五〇ホンといわれ、本件焼却場は昼間かろうじて限度内であるのみで、とりわけ夜間においては限度を一〇ホンも超えており、騒音被害発生は明らかである。北岩延地区は騒音規制条例上未指定地域であるからといって、近接して居住者が存在する限り、夜間四〇ホンを超える騒音が、被害を及ぼすことには何の変わりもない。

また焼却場騒音の特徴は、人体に特に不快感を強く与える低周波のものであって、これが昼夜を通じ、一年三六五日間絶えることなく続けられるとするならば、近接居住者の被害は想像に余りある。

(四) 排水による汚染

ごみ焼却場ではクローズドシステムは実用化しておらず、排水問題は宿命的なものである。徳島市は燃滓汚水については循環再使用し、さらにピット汚水とともにバキュームカーで下水処理場へ運搬して処理するから問題発生はないという。

しかし、循環再使用方式については未だ実用実験段階ともいうべき段階であって、前記沼田、周南の両工場においても、ともにわずかの操業率であるにかかわらず、機能低下、運転中止に追い込まれるなどのトラブルを起こしており、本件焼却場においても計算通りのスムースな運転は期待できないことが明らかである。とりわけ徳島市の論田焼却場の運営実績、交渉過程において汚水を希釈して放流するといったり、しないといったり発言が時によって異なること、下水処理場の処理能力などをあわせ考えると、循環再使用方式にトラブルが発生し汚水処理に困ったとき、非公然に放流するという可能性は少なくないと考えられる。

そして、徳島市の説明によると、右の燃滓汚水、ピット汚水のほかに、本件焼却場から、いわゆる生活汚水、洗車汚水、雑汚水、トイレ浄化槽汚水が日量六〇トンに達し、これは放流するほかないが、BODを規制値以下の二〇PPM、SSを五〇PPMに浄化してから放流する予定であるとのことである。

ところで、本件ごみ焼却場の汚水放流先としては、予定地付近の用水路(前記北岩延用水路の一部)が予定されている。右用水は、逆瀬川に連なり、逆瀬川は更に飯尾川に連結しているのであるが、逆瀬川はその名のとおり灌漑時には流水が逆流して、右用水に流れ込み、北岩延住民はこれを農業用水に利用しているのであって、灌漑時には右用水路の水は飯尾川方向には流れず、流水は滞留ないし逆流しているのである。そのうえ、右用水路の容量は小さいのであって大河川のような汚染水の拡散や自浄作用による分解は期待できないことが明らかである。

市が主張するBOD二〇PPMというのは、大河川や海に放流される都市下水、汚水処理水について大体の基準であるとはいいえても、BOD二〇PPMというのは、それ自体いわゆる悪臭ただようドブ川の状態であり、右基準は、これが流れもあり、容量も大きい河川等に放流された場合、すぐ希釈され二~三PPM程度になるという拡散と自然の浄化作用による分解が前提とされての数値である。前記用水路に、BOD二〇PPMもの汚水を大量に放流すれば、それがドブ川化することは目に見えている。放流水中に窒素、燐分が含まれるため、富栄養化して稲作に秋落被害が予想されるうえ、用水がドブ川化すると、悪臭は慢性化し、灌漑用水としての効用を喪失することになる。

また、近隣居住者はいずれも地下三〇メートル程度の打抜井戸によって飲料水を確保しており、これに対する悪影響も憂慮せざるをえない。徳島市は、この場合本件土地の地下を通る上水道管から水道を設置するというが、これは吉野川第一〇の堰から取水しているもので、佐古浄水場などで清浄化処理される以前の水であって、そのまま飲用に供しえないのであって、無責任なその場逃れの言葉とみるほかない。

付言するに、前記の用水路の状況からみて、BOD二〇PPM以下にさらに希釈するといっても、汚染物質の絶対量が変らなければ、自浄作用なき用水路に与える影響は同じであって、無意味である。

(五) 残灰、スラッジ、生ごみ投棄などによる被害

徳島市は現在でも残滓などを埋立する土地の確保に困難を生じていると説明しており、本件焼却場からの日量三六トンの残滓、スラッジなどの処分を永久的になしうるよう用地を確保、維持できるかが、まずもつて疑問であり、既設論田焼却場にこれらを放擲している実情もあわせ考えると、将来、本件焼却場用地内に残滓等を放擲ないし埋立てすることになる可能性が大である。

次に、焼却炉の故障などによる焼却場自らの生ごみの敷地内保留の可能性のほか、一般市民や事業者の焼却場敷地やその周辺への生ごみの不法投棄は不可避であると考えられる。このことは論田焼却場の実情、北岩延周辺の鮎喰川の土手にも不法投棄がある実情、監視体制の不完全さからみて明らかである。

(六) 浸水の際に予想される被害

国府町自体が低地帯であるうえに、北岩延地区はその中でも最も低く、浸水常襲地帯であり、毎年のように本件土地付近は水没し、県道の交通は不能となり、ボートでの住来を余儀なくされている。浸水した場合の水の流れは南から北であって、焼却場予定地及びその北側が遊水地帯となる。そこに盛土のうえに巨大な建物が建設されれば、それ自体遊水部分の減少を意味し、長大な堰堤的役割を果たし、用地から南側の浸水状態をより激化し、排水を一層遅延させ、被害を増大させることになる。徳島市が両端が切れているから堰堤的にならないというのは現実の水の動きを知らない謬論である。

ごみ焼却場はピット壕、燃滓冷却壕などを地下に設置せざるをえず、その投入、投げ出し口は地表面に開設するという構造から、水没した場合水が浸入し、ごみ等が流出することになり、また県道の交通杜絶により、残滓、汚水の搬出も不能となり、さらに前記のように用地上に残灰等が放擲されていた場合のことを考えると、浸水により周辺地域、用水等を汚染する被害も考慮しなければならない。

このように、浸水多発の低地帯であることのみをみても、本件土地が焼却場用地としては不適であることが明らかである。

(七) 排煙による汚染

(1) ごみ焼却場からの排煙からは煤じん以外に、鉛、カドミウム、亜鉛、マンガン、ニッケル、クロム、鉄、水銀などの金属、重金属類、窒素酸化物、硫黄酸化物、塩化水素などのイリタント(刺激性物質)、PCB、フタル酸エステルなどの難分解性の有機物等の各種の有害物質が含有されており、化学工場等の排煙が単純で均一化しているのと比して、微量ではあるが多様な有害物質が混合しておりいわゆる複合汚染が特徴であって、複合による毒性の激化を考えなければならない。このため、そもそも一般の煤じん、有害ガスの排出基準、規制値によって判断することは危険である。

(2) 本件焼却場の煤じんの規制基準を0.7g/Nm3としたり、0.2g/Nm3としたりする見解があるが、国の指定地でないから0.1g/Nm3でなくてよいとする議論は国の公害行政を絶対視する謬論であり、焼却場の排煙量は化学工場単位当たりの排煙量の一〇倍も一〇〇倍もの多量にのぼること及び本件焼却場予定地周辺が農業地帯でありながら、住民が近接して居住しているという現況からみて、住居地帯保護の観点に立つべき指定地の建前からいって、国の環境基準的な規制は実質的には0.1g/Nm3の場合に該当するとみるべきである。

(3) これまでの調査研究によると、排煙による汚染のピークは、発生源から三〇〇~四〇〇メートル以内の近辺にあることが明らかである。徳島市が依拠しているデータは、ボサンケ、サットンの公式により最大着地濃度を算出しているが、右のような定常拡散式はある仮定の気象条件のもとにおける仮定の数値にすぎないのであって、現実の平均濃度でも最大濃度でもない。定常拡散式の適用は風速二メートル以下に発生する静穏スモッグ状態には不可であり、徳島においては少なくとも一年のうち二〇%は右式は該当しない。そして右静穏スモッグ下とりわけヒューミゲイション現象下においては環境基準をはるかに上回る高濃度の汚染が発現するのである。

なお、ボサンケの公式は現在気象関係者らには全く使用されておらず、またサットンの公式の適用の仕方にも誤りがある。

北岩延地区は海岸から一〇キロメートル近くの内陸にあり、ほゞ気象的に同条件にあると見られる地点での観測データによると、風速の面からはほとんど静穏スモッグ発生の要件が存し、静穏スモッグのもう一つの要件である逆転層の形成も三年間の統計によると、夏で五〇~六〇%、一〇月から四月まで八〇~一〇〇%の日数で見られるので、北岩延は相当高率で定常拡散式の適用しえない気象条件にあると考えられる。

静穏スモッグ下で最も頻繁に発生するのがヒューミゲイションで、その汚染モデルがホランドの式であるところ、この式によって計算すると、逆転層が一五〇メートルの場合(最も発生頻度が高い)、汚染源から六〇〇~八〇〇メートルで0.13~0.17g/Nm3であって国の環境基準を上まわることが明らかである。

(4) 徳島市は、マルチサイクロン及び電気集じん機によって煤じんを除去し、規制基準以下にすると説明しているが、マルチサイクロンの性能はないよりあった方がましという程度の無力なものであり、電気集じん機については、たしかにたばこの煙程度の微粒子を捕捉する能力は高いが、一〇ミクロンないし数十ミクロンの粗大粒子、中間粒子は捕捉し難いという問題点を持ち、ガス冷却が本件の様な水噴射方式の場合、集じん機に付着したダストがハンマーリングしても落ちず機能低下や故障をきたし常時運転できないという弱点を持っているのである。現に高松市の焼却場において、電気集じん機は操業半年で故障し、以後機能維持のため、夜間は運転を中止し、黒煙を排出している疑いが濃厚である。したがって、電気集じん機に基づく煤じん除去については、良好な条件のもとで短時間の調査数値が設計値以内であっても、そのことをもって常時、二四時間一貫して半永久的にその数値内にとどまると考えることは到底できない。

(5) 大志野章教授の計算によると二万Nm3/h、排出濃度0.05g/Nm3で排出煤じん量一時間当り1キログラム、年間三〇〇日としても七・二トンであるが、排煙量は二基で四万Nm3/h、各地の集じん機の最大公約数的性能は0.1g/Nm3前後として、これをとると一時間当たり2キログラム年間一四・四トンという大きな排出煤じん量となる。しかもこれは一年を通じて正常に機能するという仮定のうえでの数値であるが、現実にはそれは期待できないからこれよりはるかに大きな数値となる。

これらの煤じんに含まれる重金属類や難分解性の有機合成物質については何よりも長期間の蓄積効果を重視しなければならない。高濃度による急性症状についてはいろいろと究明されているが、重金属等による長期間の慢性的緩漫な汚染による害悪の研究は緒についたばかりであり、不明な点も多いが、重金属を呼吸器から吸収することが人体に有害であることはいうまでもなく、肺ガンの原因の一つとなることが疫学的にも病理学的にも確かめられている。また土壤汚染として堆積し、有害な結果をもたらすことも考えられるのである。

(6) 排煙に含まれる有毒物質中、硫黄酸化物、窒素酸化物、塩化水素はイリタントと総称され、呼吸器粘膜に対する刺激によって慢性気管支炎、喘息、肺気腫などの疾患の原因となるが、煤じんと結合することによって相乗的に影響が大きくなるが、イリタントについても定常拡散式により安全性を根拠づけることはできないことは、煤じんについてと同様である。そして、イリタントについては電気集じん機は無力である。

また、農作物は種類によっては人体よりも敏感であるが特に北岩延周辺地域の特産物であるホーレン草などの葉菜類に害悪をもたらし、損害を与える蓋然性も高く、多くの近隣農民がホーレン草栽培を生活維持の不可欠の手段としており、この点は重大である。

(7) イリタント中塩化水素について特に被害発生が顕著に予想されるので触れると、徳島市は本件ごみ焼却場には、つとに実用化されている塩化水素除去装置すらつけない計画であると述べており、工場規制値をはるかに上まわる高濃度汚染の蓋然性が高い。塩化水素の毒性は硫黄酸化物のそれと大差ないのに、それが水溶性であることから、工場規制値も硫黄酸化物よりはゆるやかであるが、ごみ焼却場の特殊性である煤じんとの結合によって身体深部に入り易くなっているので、硫黄酸化物と同様に考えなければならない。

また、仮に将来徳島市において塩化水素除去装置を付けようと考えても、右装置は湿式で苛性ソーダをアルカリ液で噴霧洗浄する方式であり、ぼう大な水を必要とし、かつ相当量の排水放流が必要であって、前記の用水路以外に排水河川を持たない本件焼却場には設置ができないものである。このことのみを考えても、本件土地はごみ焼却場建設に不適というほかない。

8 (第四四号事件仮処分の必要性の欠如)

(一) 現在の論田焼却場はすぐ前が勝浦川に面し、背後は大神子の山間部が迫っており、また海にも面している。そして市街周辺部が宅地化する以前の古くから存在し、ために本件第二焼却場のように隣接する民家などは幸い一切存在しない。その敷地は公簿上の面積でも九、三四五平方メートル(但し、実測面積はその約一・五倍)、現在でもかなり広い部分が空地あるいは駐車場として残されている。徳島市はかねてよりこの空地を利用して新しい焼却炉の増設を計画しており、旧来の炉は稼働させつつ、昭和五二年頃を目途にその建設にかかる予定とのことである。そして、その新炉としては一八〇トンの能力のものが考えられていたのである。即ち第二ごみ焼却場に相当する能力の施設を論田焼却場の敷地内に建設可能なのである。徳島市のいうように真にごみ焼却場がいま緊急に必要とされているのならば、一日も早く論田に焼却炉を新設する工事にとりかかっているはずであるし、またそうしなければならない。用地はすでに確保され、徳島市の言によると早くからその計画も立てていたというのであるから、実行に移すのは比較的容易である。仮処分申請以来三年を経過し、予定の昭和五二年が到来しているのであるから、直ちに右工事に移れば、徳島市のいう緊急の必要性は十分に満たされ、行政上の需要はすぐに解消するはずである。

にもかかわらず、論田の建設をせず、北岩延の本件土地に固執するのは、合理的理由からではなく、市のメンツ、意地からのみであり、仮処分の必要性は極めて乏しいと断ぜざるをえない。

なお、ごみ焼却場へのごみ運搬車の交通の便という問題があるが、ごみ焼却場などは最近の方向からいえば広域地方行政措置として、いくつもの地方自治体が集合して一個の施設を建設するというのが多く、嫌われるものをいくつも分散する必要は全くないのであって、ある程度の交通の不便は自治体において耐え忍ぶべきである。

(二) 仮に何らかの理由により論田への焼却炉新設がただちには無理であるとしても、本件予定地以外に適地はいくらでもあるのであって、人家を避けて山間部あるいは海岸沿いにその用地を求めるべく徳島市が真剣に努力すれば容易に得られるものと思われる。

徳島市は前記6(一)のとおり秘密裡に利益誘導等により本件土地を入手するや、他の適地の選択の可能性をかなぐりすてて、ひたすらに建設を強行することのみを考えてきた。このような経緯からみると徳島市は公共の福祉などの美名のもとに住民に一方的不利益を強いているのであり、行政手続上のデュープロセスの精神を全く無視するものであるといわなければならない。

反対同盟としては行政の怠慢を重ねる徳島市に対し適地の一例として浜高房という鮎喰川と吉野川の合流する地点で焼却場用地として申し分のないと思われる地を検討してみるように申し入れたことがあるが、徳島市はこの申し出を全く取り上げず、検討もしていない。このような用地選択の経緯などをみると、徳島市の行政は不利益を受ける側の意思を全く無視するものであって、憲法三一条の精神に反し、仮処分の必要性は否定さるべきである。

三、木村清ほか一五八名

(第八一号事件の申請理由)

1 徳島市は地方公共団体であるが、反対同盟の主張前記二6記載のとおりの経緯で、木村清ほか一五八名の意向を無視して、本件土地に徳島市清掃工場(ごみ焼却場)の建設工事を強行しようとし、第四四号事件の仮処分申請にまで及んでいる。

木村清ほか一五八名は反対同盟に加入している者であって、いずれも本件土地から約四〇〇メートル以内の範囲に居住している者である。

2 本件ごみ焼却場建設に伴い、反対同盟の主張前記二7に記載のとおりの各種公害による被害が予想されるが、細井正良(別紙一「第八一号事件申請人目録」の番号93、以下番号のみ記す)、井原正行(10)、藤森幸治(94)、延原敏雄(26)、浜崎茂(91)、久保堅一(8)、喜多岩夫(92)、秋月信明(90)、古川勝弘(9)の九名は、本件土地に隣接(10、26、92、93、94、)するか極めて近くに(8、91は約二五メートル、90は約一〇〇メートル、9は一三〇メートル)に居住しており、いずれも打ち込み井戸で生活している(なお26を除き焼却場が予定される以前から居住)のであって、これらの者は前記各被害を最も強くこうむることになるが、他の者らも程度の差はあれ、多種にわたる被害をこうむるに至ることが明らかである。

3 (被保全権利の法的構成)

(一) 環境権に基づく差止請求

(1) 環境権とは良き環境を享受し、かつ、これを支配しうる排他的権利である。それは人間が健康な生活を維持し、快適な生活を求めるための権利であって、憲法二五条及び一三条の規定に由来する。そしてその権利主体は良き環境を享受し、健康で快適な生活を営んでいる一定範囲の人々(即ち本件では木村清ほか一五八名)である。

良き環境とは、まず健康な生活を維持するための条件をすべて充足したものでなければならないが、決してこれに尽きるものではない。なぜなら、人間はただ健康であることに満足することなく、快適で文化的な生活を追求しうべきだから(WHO憲章)。ここにいう環境とは、大気、水、土壤、日照、静穏、景観等を含むものであることはいうまでもない。これらはいずれも人間の生存(生命、身体、健康)と極めて密接な関係にあり「健康で快適な生活」にとって絶対不可欠な生活上の利益である。

イ 大気

大気は従来それが地上に滞留する限りにおいてその土地所有権の支配に服し、その利用は全く自由であると考えられてきた。しかし、現実問題としては、それだけでは人間が生活を営む上で不十分であることは明らかであって、人間の生活圏内である地上空間を満たしている大気が土地所有権の対象から切り離されて、環境権の対象として構成されるゆえんである。

ロ 水

水も同様である。表流水、伏流水、農業用水を含む。

ハ 日照

日照が人間の生活に不可欠であり、また大気の浄化作用を有し、全生物のエネルギー源である植物の生育に不可欠である。

ニ 静穏

静穏も生活の快適さ、健康の維持増進という観点から絶対に必要である。

ホ 土壤

土壤は土地所有権と深いかかわり合いを持つが、生物圏としての地球の一部と考えるとき、これを従来の土地所有権の支配、ことにその時々の土地所有者の絶対的支配にのみ委ねておくことは極めて危険である。土壤は農作物の生育に不可欠であるばかりでなく、その再生産は極めて困難であり、その汚染は地下の水脈等を通じて広範囲に拡散する可能性が強く、しかもそれは長期間残存することが多いからである。

ヘ 景観

人間の生活における景観の役割並びに必要性は容易に理解されよう。(北岩延の景観が、ごみ焼却場の建設によって一挙に破壤されてしまうことは明らかである。)

(2) 環境権は支配権として排他性をもつ。そして地域住民一人一人の権利は、自己と関係のある一定範囲の環境全体(生活圏)に及び、具体的個別被害が何人に生じているかにかかわりなく、即ち未だ自分のところの環境が破壊されていなくても独自にその妨害排除請求権を行使しうる。

このような権利としての環境権を認めることによってこそ木村清ほか一五八名が現実的に生命、身体、健康について具体的個別被害を受けたり、悪影響をこうむるその前段階において、それら回復しがたい重大な損失を防止することができる効果をもつ。

したがって、木村清ほか一五八名は一人一人についての具体的個別的健康被害や財産的被害が予想されるか否か、あるいは、生命、身体、健康への悪影響の蓋然性の有無、高低にかかわりなく、地域住民の生活圏をとりまく大気、水等を含む良好な環境に対するさし迫った侵害の危険性、可能性があれば、それだけで環境権に基づく妨害排除請求権の行使により、本件ごみ焼却場建設工事の差止が認められるべきである。

(二) 人格権に基づく差止請求

木村清ほか一五八名にとっては、ごみ焼却場設置によってもたらされる公害によって、単なる環境破壊にとどまらず、現実的問題として生命、身体、健康に対する悪影響の蓋然性が極めて高く、遅からず健康上何らかの被害が十分に予想されるのであるから、人格権に基づいてその差止を請求する権利を有する。

(三) 財産権(土地・建物の所有権、賃借権、占有権、及び農業水利権)に基づく物権的請求権

木村清ほか一五八名らは、本件土地からわずか四〇〇メートル以内に土地(宅地・農地)、建物(居宅・作業場)を所有し、かつ現実に生活、居住し、ここで生計を立てているのであるから、ごみ焼却場の設置により居住地、住居あるいは営業の場所、農地として、即ち生活活動の場として利用することが困難となるが、あるいは宅地・農地としての利用価値が著しく低下する蓋然性が極めて高い。また徳島市が水利権者の同意がないまま、汚水を前記用水路に放流することになれば、地域の農作物は甚大な影響をこうむることが容易に推測され、莫大な損害が発生することになる。

したがって、木村清ほか一五八名はこれら土地、建物の所有権、賃借権、占有権、農業水利権に基づき、ごみ焼却場建設工事の差止を求める物権的請求権を有する。

(四) 不法行為の差止請求権

本件土地へのごみ焼却場建設は、木村清ほか一五八名に対し、身体・健康にも影響を及ぼす程度の被害を与え、居住地、住居、田畑を生活活動の場として利用することを困難ならしめる蓋然性が高いのであるから、右建設は所有権の行使の範囲を著しく逸脱し、不法行為となることが明らかである。

よって木村清ほか一五八名は不法行為の差止として、工事禁止の請求権を有する。

4 (結論と予備的主張)

以上のとおり、徳島市の本件土地へのごみ焼却場建設はあらゆる面からみて違法なものとして、その差止が認められるべきであるところ、仮に木村清ほか一五八名の全員について差止仮処分申請が認容されえないとしても、前記2に列挙した九名については、被害発生の蓋然性が極めて高度であることが明らかであるから、申請が認容されるべきである。

第三証拠《省略》

理由

第一  第四四号事件について

一、反対同盟(被申請人)の市議会の議決の欠如を指摘する主張に対する判断

地方自治法九六条一項一一号には、仮差押や仮処分の申請は列挙されていないところ、本案訴訟等を予定する付随的手続にすぎないことやその緊急の必要性に鑑みると、同号に列挙されている訴えの提起等に準じて同様に解するのは相当でなく、普通地方公共団体がこれらの手続をとるについて議会の議決は要しないと解すべきであるし、また、本件のように仮処分申請事件の審理にあたって口頭弁論が開かれ、審理が長期化したとしても、口頭弁論を開くか否かは、裁判所の裁量によるものであり、そのために議会の議決が必要不可欠となると解することはできない。

したがって、その余の点について判断するまでもなく、右事由の故に徳島市(申請人)の申請を不適法とすべきであるとの反対同盟の主張は失当である。

二、団結小屋の所有権の帰属主体

1  問題の所在

反対同盟は、団結小屋の所有者は反対同盟ではなく、慣行水利権の主体としての水利団体である北岩延区である旨主張し、徳島市の本件申請は被申請人適格を欠く者に対する申請であるから却下さるべきであると述べているが、徳島市は反対同盟がその所有者であるとして団結小屋の収去等を求める本件申請に及んでいるのであり、仮に証拠上団結小屋の所有者が反対同盟であるとは認められないとすれば、徳島市の反対同盟に対する団結小屋収去等の請求権が存在しないことになるのであって、団結小屋の所有権の帰属は、被保全権利の存否に関する事項であって、被申請人適格の問題ではないと解すべきである。しかしながら、団結小屋の帰属主体についての結論いかんによってはその余の判断が不要となるいわば前提的争点であるので、以下、まず、この点について判断することとする。

2  反対同盟について

反対同盟は、徳島市が北岩延地区に建設しようとする第二ごみ焼却場設置に反対する地元住民が反対運動を目的として組織した団体(非法人の社団)にして代表者の定めを有するものであることは当事者間に争いがないところ、その結成の経緯をみるに、木村(清)供述、漆原供述(第一回)、北島(武)供述、北島(安)供述及び乙一によると、次のような事実が疎明される。

昭和四六年一〇月初めに徳島市の北岩延地区へのごみ焼却場建設計画を聞知した北岩延地区住民は、同月二〇日頃これに反対するため、木村清氏を代表者とする北岩延地区反対同盟を結成し、その後、周辺地区である南岩延、不動、花園などの各地区においても、同様の地区限りの反対同盟が結成され、その後(正確な時期については後述)、右各地区ごとの反対同盟が大同団結して一つの「反対同盟」という組織を結成するに至り、木村清がその代表者となり、その他の役員も定められて、その後は、反対同盟が一体となって、ごみ焼却場設置反対運動(各地の焼却場の調査や本件訴訟活動を含む)を推進することとなり、従来の各地区ごとの組織は、反対同盟の支部的な役割を果すにすぎないものとなった。そして、反対同盟の現構成員は、第八一号事件申請人木村清ほか一五八名(但し、各戸一名ずつになっているため、木村清ほか一五八戸と言いかえた方が正確である。)とほぼ一致する(右一五九名以外に現在なお横成員がいるか否かは定かではない。)。

なお、大同団結の時期については、前記木村(清)ら四名の本人供述はほゞ一致して昭和四八年六月頃としているが、正確な時点ははっきりしないようであり、これらの供述を裏付けるような書証はない。かえって、木村(幸)供述中には、これを同年三月か四月頃とする部分があり、甲六四の徳島新聞の記事によると、同年三月一九日以降は約一、二〇〇名の全員を有する反対同盟が登場しており、甲五四ないし五六及び桑野証言によると、同年五月一八日と二五日の二回にわたり徳島市長が文書で反対同盟に対し団結小屋の撤去を要求したのに対し、同月二八日付で反対同盟(北岩延地区なる名称は冠せられていない)会長木村清名で回答書(甲五六)が徳島市長あてに出されていることが明らかであるが、団結小屋が最初に建築された同年二月二三日頃以前にさかのぼることをうかがわせる証拠は存しない。当裁判所としては、木村(幸)供述を特に他の本人供述よりも正確であるとする根拠もなく、甲六四も反対同盟の組織に焦点を合わせた記事ではなく、その正確性は定かでないと考えるが、甲五六の存在により、大同団結の時期は遅くとも同年五月頃(あるいは三月にさかのぼるかもしれない)と認定するのが相当だと考える。

他に以上の各認定を妨げるに足りる証拠はない。

3  北岩延区について

次に、反対同盟が団結小屋の真実の所有者であると主張する「北岩延区」なる団体とは何かについて考察することとする。

(一) 乙七九(東京大学教授渡辺洋三の本件についての「慣行水利権および水路敷所有権について」と題する意見書)及び公刊されている農業水利権関係の文献(主なものとして渡辺洋三「農業水利権の研究」(増補版)東京大学出版会、竹山増次郎「溜池の研究」有斐閣、永田恵十郎「日本農業の水利構造」岩波書店)などに照らすと次のように考えられる(但し、結果的には乙七九の該当個所をほぼそのとおり要約摘記することとなった。)。

イ 日本の稲作農業は、水のあるところにしか成立しない。しかも天然自然の水を何らの人工を加えないまま利用して稲作をすることは不可能であり、水源から田へ水を引くための水利施設が不可欠である。稲作地帯における村は、このような水利施設の建設とともに形成されたものであって、村とこのような水利施設の維持管理主体たる水利団体とは表裏一体であり、このように、村は水利秩序を中心に形成されてきた。さらに徳川時代においては、村は年貢の単位とされ、年貢を納めることは村人全員の連帯責任であった。収穫をあげようとすれば、水利施設を充実して増収をはかり、新しく開田することが必要であり、村の運命は水と共にあり、水を中心に村の生活が成り立ち、番水秩序をはじめとする水の管理・利用のルールを中心に村のおきて(村法)がつくられた。徳川時代において村(村落共同体)は水利共同体そのものであった。

ロ そして、一つの村が一つの水利団体であるといっても、小規模な水利施設ならともかく、少し遠くの大きな河川から取水口を設けて水を引くような規模になってくると、いくつかの村々が連合し、協力してでなければ水利施設物をつくりえず、また管理もできなかったため、水利団体としての各個の村のうえに、数個、十数個(ときとして数十個)の村連合体としての水利団体がつくられ、重層的水利秩序を形成しているのが普通であった。すなわち、村連合体としての大規模な水利団体(上部水利団体)が河川の取水口からの基幹用水路の管理主体であり、その傘下の各村々(下部水利団体)が基幹用水路から自己の村まで引水するためのやや小規模な用水路および村の中の各戸の田まで引水するもっと小さい用水路の設置ないし管理主体であったわけであるの。

ハ 徳川時代の村は生活共同体(水利共同体)としての村と行政組織としての村が一体となったものであったが、明治以降、地方行政組織の近代化の進行過程においてこの両者は法的には分化することになった。徳川時代の村の行政組織としての側面は、明治五年の大小区制から、同二一年の市町村制とその前後における町村合併を経て、近代的公法人としての市町村の一部に組み入れられた。この市町村の一部としての旧村は原則として法人格を否認されながら、町村制第六八条の規定に基づく行政区として再編された。法制度の建前としては行政区は行政事務処理の便宜のために任意に設けられるものであるから、区の範囲と旧村の範囲は制度上一致していなくてもよいのであるが、実際には昔から一つのまとまりを持った旧村をそのまま上からつかまえて旧村ごとに行政区がつくられた場合が多く、そのため、旧村のことを区と称し、生活共同体としての旧村と町村制上の区との区別がつかないまま両者が混然一体のものと意識されていたのが、日本の農村における一般的状況であり、したがって区長は町村制のうえでは町村長の推せんにより町村会が任命する建前であったが、実際には旧村の慣習法により選ばれた旧村長が区長に任命され、同一人格が生活共同体としての旧村の長であると同時に行政区の長でもあるという二重の役割を果すこととなり、区長が本来の役割である地方行政事務だけでなく、同時に生活共同体としての旧村の仕事である水利施設や共有山の管理、村落費の徴収、祭行事の企画等の仕事もあわせて受け持った。こうして法制上は旧村(徳川時代の村)の生活共同体(水利共同体)としての面と行政組織としての面が分離されたものの、現実の農村においては、両者が相変らず未分離のまま受けとられ、両者とも区に引き継がれ、このようなものとして、旧村が区と呼ばれていた。その後、戦後になって行政区は町村制の廃止と現行地方自治法の制定により法制上は廃止された。

ニ 次に、旧村のうち水利共同体(生活共同体)としての面をみると、明治政府は、これを地方行政組織から分離し、近代的法人格を持つ普通水利組合に編成し直すという政策を採用した。その過程をみると、当初の区町村会法(明治一三年太政官布告)の下での水利土功会においては水利団体は地方行政組織と一体であったが、明治二三年の水利組合条例において水利組合は私的な土地所有者の集団として組織され、行政組織と水利団体が分離されるに至り、さらに明治四一年の水利組合法によってこの政策が確定した。

ホ しかしながら、日本の多くの地方において、徳川時代以来の慣行的水利秩序の実体はほとんど変らず、多くの場合、普通水利組合に再編されたのは、前記の徳川時代における村連合体であり、その傘下の下部水利団体としての各旧村は普通水利組合とならずに(徳川時代の旧村落水利秩序がそのまま生き続け)、多くは、前記のとおり行政組織と生活共同体(水利共同体)が一体として意識され機能した区と称される団体として存続し、前記のとおり行政区が法制上廃止され、区という名称が法律上の根拠を欠くに至り、区と呼ばれた旧村の行政組織としての面は失われたが、もう一つの生活共同体(水利団体)としての側面は依然として存続し、現在に至るまで、相変らず区と通称される慣行的水利団体として生き残ることとなった(必ずしもすべてが区という名称で呼ばれているとは限らないが、このような法人格を有しない旧村に由来する水利団体は全国各地に無数といっていいくらい現在も存在する。)。

(二) さて、以上の一般論を背景に、本件において「北岩延区」と呼ばれる団体についてみるに、《証拠省略》によると、次の事実が疎明され(る。)《証拠判断省略》。

イ 徳川時代から存在する以西用水は、矢野、中村、府中、観音寺、早淵、和田、南岩延、北岩延、井戸、日開、池尻、敷地、尼寺、西矢野、内谷の一六か村が管理していたが、これが前記の村連合体で上部水利団体を構成し、旧北岩延村はその下部水利団体としての水利共同体であって、明治以降、右一六か村連合体は以西普通水利組合とされ、現在以西土地改良区となって存続し、旧北岩延村は、もともと、右連合体の下部組織であったが、明治二四年右以西用水の連合体から脱退し、その地区内の用水路(北岩延用水路)の維持管理主体となった。この水利団体たる旧北岩延村は、町村制第六八条による行政区とされ、前記の一般的場合と同様、生活共同体(水利共同体)と行政組織が混然一体のまま区と称されることとなったが、戦後、法制上行政区が消滅し、また北岩延区は、地方自治法上の財産区としての認定も受けていないことから、現在北岩延区と通称されている共同体の法律上の性格は、前記のような旧村落集団に由来するところの慣行的水利団体である。

ロ 最近における北岩延区の組織と運営の大綱をみると、区の最高決議機関は総会と呼ばれ、区内各戸(全部で四〇数戸)から各一名が出席して構成され、主として用水路の設置、維持、管理に関する問題(用水管理費としての区費の徴収など)の討議、決議にあたり、選挙等によって区長を選出し、区長は区を代長し(任期二年)、その下に執行機関として他に評議員と会計担当者を置いており、区長は比較的重要な問題を評議員会にはかって相談し、会計担当者は会計帳簿を保管し、区の財政をつかさどる。区の行事としては、祭行事の企画等もあるが、最大の仕事は、用水路等水利施設物の維持管理としての川ざらえ、藻切り、ゆる板の設置、橋の新設・改良等であり、これらについて区費を徴収するほか、区民が毎年二、三回総出で労働を提供してことにあたってきた。なお、都合で労働の提供ができない人についてはその分金銭を負担する仕組みとなっており、この負担金は区の財政に組み入れられて、労働を提供した人々の飲食代等にあてられている。区費は専ら用水路、水源池の掘さく、管理、保全の用途に使用され、また用水路等の維持はすべて区の財政でまかなわれてきた(なお乙六及び堀井証言によると、国府町役場や市に合併後は徳島市から、年に五、〇〇〇円前後の補助金が区に対し出ていることが認められるが、乙六によるとその区財政全体に占める割合は微々たるものであり、このこと故に徳島市が用水路を管理しているといえないことは言を俟たない。)。区内の用水路の使用(排水、架橋を含む)は区民であると否とを問わず区長の許可事項とされ、区民についても水洗便所のとり付けは不可とされ、第三者の排水については料金を徴収している。

4  所有権の帰属についての判断

昭和四八年二月二三日頃本件水路敷を含む用水路の一部に団結小屋が建築されたことは当事者間に争いがなく、前記2のとおり、反対同盟が結成されたのは、それ以後の同年五月頃であるから、団結小屋は、当初から反対同盟が建築したものと認めることはできない。そこで、問題は、前記3にみた北岩延区が建築し、現在までこれを所有しているのか、あるいは反対同盟の中核となった前身団体である北岩延地区反対同盟が建築し、その後その所有権、管理権が反対同盟に承継されているのかという点である。

《証拠省略》を総合すると、昭和四八年二月当時北岩延地区四〇数戸はすべて北岩延区の構成員であるが、そのうち、本件土地売却者一〇戸はごみ焼却場設置に賛成していたが、これを除く三〇数戸の大多数はこれに反対であって(堀井証言により売却者以外に堀井義雄が賛成者であることは明らかである)、北岩延地区反対同盟を構成していたところ、右三〇数戸の者たちは、同月中旬頃徳島市側の強行着工の気配を感じて、同月二〇日午後八時頃から若宮神社において会合を持つこととし、当時区長をしていた宮地新一名で有線放送を通じて同月一八日頃からその招集を行ない、予定どおり会合を持ったが、右会合には、三〇数戸の代表者三〇数名が出席したのみで、徳島市に土地を売った人も、また反対の立場にある他地区の人々も一切出席しておらず、唯一の例外は、同年三月八日投票の徳島市長選挙に立候補していた現徳島市長山本潤造が特別に出席して、集会参加者を激励したということであり、その場では、どのようにしてごみ焼却場設置に反対するかが討議され、結論として、本件水路敷上に出席者らで力を合わせて団結小屋を建築することが取り決められ(なお、乙三〇の宮地新一作成の報告書中には、右会合を二月二二日と記載しているが、《証拠省略》から二月二〇日が正確であると判断する。)、その後、まもなく、右三〇数戸の者がそれぞれ必要な資材を持ち寄り、その中に大工の経験者もいたので、その人らが中心となって建築工事を行ない、団結小屋をつくったことが疎明され、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によると、北岩延地区の反対派三〇数戸の者たちにおいて団結小屋をつくったものであるが、右の者らは、一方で北岩延区の構成員であるとともに、他方北岩延地区反対同盟の構成員でもあるから、どちらの立場において団結小屋を建築したのかが、明らかにされねばならないところ、《証拠省略》によると、会合の招集者が北岩延区長で、会合の名称は臨時総会であり、木村(清)供述、北島(武)供述、北島(安)供述、木村(幸)供述の各反対同盟代理人の尋問部分中には、右会合は区の臨時総会であって、土地売却者に対してももれなく招集の通知を出しているし、区の総会の議決に基づいて建築されたものであるから、団結小屋は北岩延区のものであるとあるが、右各本人も、団結小屋の建築、維持について区費は全く費消されていないことは述べているうえ(このことは《証拠省略》からも明らかである)、徳島市代理人の尋問において、北島(武)は、反対派だけが勝手にしたことではないかとの追求にあって答に窮しており、昭和四八年八月の団結小屋増設は反対同盟として行なったことを認め、小屋のつくり主についての念おし的質問には返答していないし、北島(安)は、区の決議の拘束力はもともと弱いものであり、相当強固な反対があれば、川ざらえなどは別として区としての行動はとれず、反対者を説得するほかないと述べており、木村(幸)は、北岩延の人々が団結小屋を建てるについて北岩延区が許可していると口をすべらせているのであって、これらの供述に照らすと、前記の区がつくった旨の供述等を額面通り措信することは困難であり、後にみるように、ごみ焼却場建設は北岩延区の農業水利権にかなりの影響を及ぼすとはいえ、前記3で検討した北岩延区の慣行的水利団体としての性格及びそれが伝統的に行なってきた用水路管理等の行事に照らすと、ごみ焼却場建設阻止の目的で用水路敷地上に団結小屋を建てるということは、北岩延区の性格にそぐわず、その伝統的に取り行なってきた行事とは異質な面を有するといわざるをえないのであって、北岩延区の総会の議決によるとの形式を整えているからといって、北岩延区が団結小屋を建てたとみることはできず、結局のところ、団結小屋は、北岩延地区反対同盟を構成する前記三〇数戸の者らが建てたと認めるのが相当である。

次に、《証拠省略》によると、昭和四八年三月に共栄電業有限会社名で団結小屋に電気を引いているが、右会社は名前を貸しただけで電気料金の支払はしていないこと、甲五二の一ないし一〇、甲六四(昭和四八年五月一日付記事)、木村(幸)供述、北島(武)供述によると、昭和四八年四月と同年八月の二度にわたり、北岩延地区以外の地区の人々も集まって、団結小屋を増設したり(本件水路敷からはみ出しているものもある)、補強工事をしたりしていることが、それぞれ疎明され、右認定を左右するに足りる証拠はなく、全証拠によるも電気料金の出所は明らかでなく、桑野証言及び甲五四ないし五六によると、徳島市長の反対同盟あての団結小屋撤去要求の文書(甲五五)に対する回答が反対同盟会長木村清名でなされているが、団結小屋の所有関係については何ら言及されていないこと(甲五六)が明らかであり(いずれも五月末ころ)、前記2の反対同盟の結成経過、前掲の北島(武)供述及び弁論の全趣旨によると、四月の増設、補強についても相当の疑いはあるが、少なくとも八月の工事は、一本化した反対同盟として取り行なったものと認めるのが相当であって、右認定に反する木村(清)供述、北島(安)供述、木村(幸)供述はいずれも措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上によると、団結小屋は、当初北岩延地区反対同盟によって建てられたが、その後その所有権、管理権は各地区反対同盟が大同団結してできた反対同盟に受け継がれ、現在は反対同盟の所有に帰していると認めるのが相当である。

三、本件水路敷についての権利関係

1  問題の所在

本件は紛れもなくいわゆる公害裁判といわれている範ちゅうに属するが、しかし、それにとどまらない。第二ごみ焼却場建設予定地(本件土地)は、公道から幅員二メートルの農道が通じているのみで、公道に面している部分と公道との間には幅員二メートルの水路が介在して直接公道に接していないため、そのままでは工事用の車両すら進入できず、そのため、徳島市は、右水路の本件水路敷部分に架橋しようと計画していることは当事者間に争いがない。そして徳島市は、右水路は徳島市知事の管理にかかる国有地であると主張し、徳島県知事から本件水路敷の使用許可を得ていること(この許可の事実そのものは当事者間に争いがない)を根拠に、右地上にある団結小屋の収去等を求めているが、これに対し、反対同盟は、右水路は人工の水利施設物であり、慣行水利団体たる北岩延区が排他的な管理権を有するものであり、さらにはその地盤所有権も北岩延区に帰属する旨を、慣行水利権の内容や明治初年の土地制度史などに立ち入って詳細に主張し、県知事による使用許可の法的意義についても異議を唱えている。

徳島市の本件申請中、団結小屋の収去及び本件水路敷の明渡を求める部分が認容されるためには、本件水路敷の権利関係についてのその主張がすべて結論において正当であることが必要であり、仮に、いずれかの点でその主張が否定されるならば、予定される第二ごみ焼却場による公害発生の蓋然性がたとえ皆無であるとしても、現時点においては、右申請部分は却下を免かれないことは論をまたない(もっとも、将来、本件水路敷について、別の法的手段を講じ、新たな事実関係は形成したうえで、新たなる法理論を展開する余地がないではないと思われるが。)。また、右権利関係の検討は、公害問題殊にその排水による汚染の問題の考察に相当の関係を有するうえ、徳島市と反対同盟(反対派地元住民)との交渉経過の評価にも関連し、また第八一号事件の帰結にも無影響ではない。

したがって、本件は公害裁判であると同時に、いや、それにも増して水路敷裁判ともいうべき特質を有することになる。そこで、以下、本件水路敷の権利関係の検討に移ることとする。

2  本件水路を含む北岩延用水路の沿革

本件水路敷の権利関係を明らかにする前提作業として、まず、その沿革をたどることとする。

そのための資料としては、乙三(名東郡史)、乙四(以西反別割元帳―自明治一一年至明治四五年)、乙五(以西普通水利組合略誌―以西普通水利組合昭和一二年四月一〇日発行)及び乙七三(国府町是―大正二年一一月完成部分)があり、これらの史書や古文書のほか、木村(清)供述、漆原供述(第一、二回)、三木証言及び検証を綜合し、前掲乙七九その他の文献に照らして考えると、次のとおり解せられる(但し、挙示した証拠等は、以下の大筋の認定判断に用いたもので、限られた小部分の認定に用いた証拠は適宜その箇所で示すこととする。)。

イ 本件水路を含む北岩延用水路は、もともと「以西用水」に属していたものであり、「以西用水」とは、別紙(四)「図面(B)」に④で示された付近に、自然の河川である鮎喰川からの木樋等による取水設備及び月の輪集水池を有し、旧北岩延村を含む前記旧一六か村(この点に変動があることは後述する)の田畑の灌漑のため人工的に設けられた用水路網である。

ロ さて、右以西用水の沿革であるが、乙五中の「以西用水沿革概要」と題する部分に、次のような記載がある(但し、旧字体を新字体に改めるなどして記すこととする。)。

「、、、、本用水ノ起源並ニ創設創業ハ実ニ古ク詳カニスルヲ得ザルモ今ヲ去ル三百五十年前天正十七年ニ用水番水定書ノ古文書現存スル所ヨリスレバ既ニ其当時用水路トシテ農民ノ多クガ利用セシ事明ニシテ百数十年前即チ寛政ノ末期延命月ノ輪堤外鮎喰川河底ニ古クヨリ埋設スル木樋ノ腐朽ト灌漑地区ノ拡張トニヨリ水量ノ欠乏ヲ告ゲ享和ノ初メ国府町中素封家手塚六右衛門(通称甚右衛門)之ヲ憂ヒ窃ニ期スル所アリ文化五六年ノ頃私金銀四十四貫三百九十九匁五分二厘ヲ醵金シ銀二十二貫百四十八匁三分八厘ヲ井組矢野、中村、府中、観音寺、早淵、和田、南岩延、北岩延、井戸、日開、池尻、敷地、尼寺、西矢野、内谷ノ五百町歩十六村相応ニ相募リ文化八年末ノ歳十一月既設木樋ノ一部百七十五間ノ修理完成シ俗ニ之ヲ山六樋ト通称シ又底樋トモ称ヘ後文化天保ノ間更ニ木樋七十五間ヲ延長シ弘化年間其一部ニ修理ヲ加ヘ年々歳々ノ水量欠乏ヲ補ヒ嘉永四年二月布設木樋ノ下流ニ於テ河川敷ヨリ建板若クハ粘土ヲ以テ地下水ノ堰上ニ計画セシモ聴許ナラズ越ヘテ嘉永七年名西郡入田村水神松ヨリ同村海見先代傍示ヲ通ズル水路ヲ開サクシテ既設木樋ニ連絡スルノ策ヲ樹テ出願再三ニ及ビ遂ニ許サレテ工ヲ起シ一ノ宮村字鍋淵ニ之ヲ放流シテ既設ノ木樋ニ地下浸透ノ自然流注ヲ計り灌ニ増水ノ便ヲ得其後明治十七年中村岐下泰民氏ノ計画ニヨリ木樋四十間ヲ一ノ宮村鹿野前ノ河底ニ新埋設シテ引水シ北岸山麓ニ添ツテ水路ヲ開キ之ヲ月ノ輪ノ古設墜道ニ導キ同時ニ既設木樋ノ一部(山六樋)ヲモ修理シテ灌漑水ノ増加ヲ企図シタルモ其結果ハ延命村通称上樋懸リノ利便ニ止リ全地区ノ水利ヲ得ルニ至ラズ其故カ俗称上樋ト名付ケ又泰民樋トモ云ヒ明治十九年時ノ郡長増水策トシテ一ノ宮村鹿野前ニ更ニ埋樋セシモ増水ヲ得ズ其後明治二十四年後々渇水甚シク改修ノ論起リ鈴江瑞策氏、、、、等ニヨリ山六樋ヲ廃シテ木樋百五十間ヲ鮎喰河底ニ山六樋ニ稍平行シテ一部ヲ城山方向ニ大部ヲ之レヨリ屈曲シテ三ツ峯方向ニ新設シテ増水ノ策ヲ遂行シ僅ニ其便ヲ得タリ是ヲ如来樋ト称ス此ノ時北岩延村組合用水区域ヲ離脱ス、(以下、明治二九年普通水利組合法(但し、条例を指称するものと思われる)制定による法人化の過程、その後昭和一二年頃までの水利施設の改修等の経緯が記されているが省略する。)」

ハ 右記載は、他の前掲各証拠に照らし、ほゞ正確であると推認され、他に右沿革につき別異に解するのを相当とする証拠はない。また乙三には、嘉永年間に、前記一六か村中一一か村が井戸、和田、北岩延、南岩延、早淵の五か村に水を分与しない事態が発生し、五か村が井戸村与頭庄屋湯浅栄五郎を代表に総代をあげて一一か村と談判し水利権を確保したが、この時の用水路の改修には右五か村は人夫三五〇人を出したという歴史的事件があったとの記事があり、その記載の全趣旨からみて一応史実と推認してよいと思われる。

ニ 以西用水の沿革については、前掲書証以外には史料的証拠は提出されておらず、またその存否も定かでなく、乙五にあるとおりその起源は明らかでないといわねばならないが、遅くとも天正年間には存在したものと考えられるところ、その創設の主体は、各地の政治的経済的事情によって異なってくるが、以西用水程度の規模になると、中世あるいは近世においては、一般的には封建領主(蜂須賀藩等)であると考えるのが、自然だと思われるが、反対同盟の主張するように村々が共同して開いたということも考えられないではなく、領主によって開かれるといっても労力や費用はほとんど全て村々(農民)の負担であったと推定され、しかも、乙五にあるとおり、文化年間には、前記一六か村が共同して(素封家手塚六右衛門の醵金をも得て)、資本と労働を投下して、創設に相当するほどの大改修工事を行ない、その後も、領主の許可を得るなどして(その手続関係は詳らかではない)改修を重ね、その用水路網等水利施設物を維持管理してきたものであるから、少くとも文化年間以降は、ずっと、右一六か村連合体が水利団体として以西用水を維持管理し(但し、乙七三によると管理費が一部官の支弁となったこともあるようであるが、その詳細は明らかではなく、上述の基本的見方を左右するほどのものではないと解する。)、傘下の各村々という特定の農業集団の灌漑の用に供していたものとみるべきであって、公権力主体としての封建領主の支配管理下にある水利施設物を、右村々が利用を許されていたにすぎないとみるのは相当でない。

ホ しかし、右一六か村連合体は、各農民を単位とする単一的組織ではなく、あくまで村を単位とする組織体であり、各村々はそれぞれに旧来から生活共同体(水利共同体)として機能しており、水源からの遠近の関係などで殊に渇水期には相互間に深刻な利害の対立をはらんでいるのであって、連合体は上部水利団体として、各村村という下部水利団体共通の利益を追求するとともに(基幹用水路の維持、管理、改修など)、その相互間の利害の調整を図る(番水制の定めなど)役割を果たすものであり、支線水路のすみずみまでを維持管理する任にあたるものではなく、これらは各村内の水利秩序とともに、下部水利団体である各村々のつかさどるところであった(前記二、3(一)ロ参照)。

ヘ 以西用水は乙五(前記ロ)にあるとおり慢性的渇水状況にあり、ために乙三(前記ハ)にあるような水利紛争も生じたが、わけても旧北岩延村は水源から最も遠いところに位置し、水不足に悩むことが多く、村として以西用水の支線水路の維持、管理、改修につとめるほか、独自の水源を求める努力を重ね、新らしく溜池(祖母池、石畑、五反地の池)を掘って水源とし、さらに、別紙(四)「図面(B)」に②で示された地点に堰を築いて飯尾川の水をせきとめて、同図面の③地点で飯尾川に合流する逆瀬川を逆流させて、逆瀬川に連結する用水路に導入して灌漑用水とすることとし、これら水源開発に伴って新たに用水路を増設し、ほゞ現在あるような北岩延用水路を完成させたものである。このような独自水源の開発の進展中明治二四年に、旧北岩延村(区)は、以西用水の水源への依存度が減少したうえ、以西用水からは多くの用水を期待できないため、一六か村連合体から離脱し、北岩延用水路は、以西用水から独立し、以後北岩延村のみによる支配管理下に置かれることとなった。

もっとも、右経緯からも明らかなとおり、離脱以前の重層的水利秩序下においても、北岩延村はとりわけ強い独自性を持ってその村内の用水路等を支配しており、一六か村連合体の支配力はゆるやかなものであったと考えられる。

ト なお、右溜池の建設や逆瀬川逆流水の開発がいつ行われたかについては、確たる証拠はなく、三木証言によると明治年間であると思うとのことであるが、甲九七(地籍簿、明治二四年)、甲九九(明治九年改正地所明細帳)、甲一〇〇(地券台帳)及び甲一〇一(土地台帳、明治二〇年根基)によると、北岩延村においては明治一三年二月五日に民有地につき地券下付申請がなされ、同年六月一日に地券が交付されたが、字祖母池一一番溜池一反一歩は当時から官有地とされ(なお乙九の一参照)、字五反地二五番溜池九歩は大字北岩延村(即ち北岩延区)とされており、遅くとも明治一三年頃までには、この二つの溜池は完成していたと推認され、字石畑の溜池については、もと字石畑二五番田として木村政吉に地券が交付されたものから、明治二七年一一月分筆され同八番二溜池二畝として、大字北岩延村(北岩延区)に地券書換がなされている(なお乙九の二参照)ので、あるいは明治二七年ころ築造されたのかと思われる。逆瀬川逆流水の開発時期については、前記三木証言以外に確たる証拠はないが、三木証言によると、独自水源の開発と、以西用水からの離脱とは密接な関連があることが認められるので、遅くとも以西用水を離脱した明治二四年頃までには開発されていたと推認するのが相当である。ついでに、逆瀬川とこれに連絡する北岩延用水路との境界はどこかについてみるに、この点についても確たる証拠はないが、桑野証言によると、現在別紙(三)「図面(A)」のC地点(本件土地の西北から一〇〇メートルくらい下流の地点)より下流が逆瀬川として、飯尾川とともに一級河川の指定を受けていることが認められるので、これを右境界と認めるのが相当である。

チ さて、本件水路敷を含む水路についても、その開さく時期については、確たる証拠はなく、三木証言中に明治中頃ではないかとの推論部分があるが、徳島市、反対同盟の双方とも明治初年の近代的土地所有権確立期以前から存在したことを当然の前提としてその主張を展開しており、前記甲九七、九九ないし一〇一のほか甲九八(地籍図)を検討すると、明治二四年当時に本件水路敷を含む水路は、字桑添二三番ノ三用水路敷七畝一三歩の官有地第三種として地籍簿(甲九七)、地籍図(甲九八)に登載されており、また同一土地につき先に地券の交付(その申請も)がなかったことも明らかであるから、遅くとも明治一三年二月以前には存在していたと推認するのが相当である。

リ そして、水利団体の変遷過程等は前記二3(二)イのとおりであって、本件水路敷を含む北岩延用水路はすべて、現在北岩延区と通称されている旧北岩延村に由来する慣行的水利団体の支配管理するところとなっている。

(以上、イないしリの事実認定の妨げとなりうる証拠はない。)

3  水利団体が水利施設物(特に水路)に対して有する権利の分析

(一) これまで、北岩延区という水利団体や北岩延用水路についての考察(前記二3、三2)において、当事者双方がその主張中で用いている水利権という用語の使用を控えてきたが、それは、この言葉は論者によって異なった意味に用いられることがあり、現に、本件において、徳島市も北岩延地区の農民らが慣行による農業水利権を有することを認めておりながら、その権利内容については、反対同盟とは全く異なった解釈により、本件水路敷の権利関係について正反対ともいえる帰結を導いているからである。そこで、以下、水利権あるいはこれに伴なう諸権利について検討することとするが、ここでは、水利権といっても、一般的にではなく、本件で問題になっている伝統的な慣行水利権あるいは農業水利権と呼ばれるもの(以下これを単に「水利権」と示すこととする)に限って考察し、しかも、右権利に関しては、成文の規定がなく、判例、学説に依拠する必要性が高いうえ、単に民法的考察にとどまらず、河川法その他の公法法規との関連等広い視野からの考察が必要であり、私権論、公権論の対立、権利主体のとらえ方等々種々の複雑な問題があるのであるが、争点となっている本件水路敷についての権利関係の分析に必要な限りにとどめることとなる。そのうえで、後に述べるとおり、そもそも水利権自体の問題といってよいかどうかも問題であるが、水利団体の水利施設物に対して有する支配管理権とは何か、そしていかなる内容を持つのか、地盤土地所有権とはいかなる関係に立つのかといった検討に入ることとなるが、ここで、いろいろと法解釈上も問題の多いこれらの諸点及びこれと関連する明治初年における水路地盤土地所有権帰属の問題(後記5(一))について、当事者から提出されている文献を、参考のため、次に列記しておくこととし、問題の性質上当裁判所も、そのほか、前記(二3(一)の冒頭)に例示した著書等の公刊された文献や裁判例を広く参照したが、これらについては、該当個所で特に参考としたものの一部を示すにとどめることとする。

前記乙七九(渡辺洋三教授意見書)、乙七六(東京高裁昭和三六年(ネ)第二五一九号、三七年(ネ)第四六八号、昭和四二年七月二五日判決下民集一八巻七・八号八二二頁)、乙七七(右事件の第一審判決東京地裁昭和三六年一〇月二四日判決判例時報二七八号四頁)、乙八〇ないし八二(いずれも乙七六、七七の事件において裁判所に提出された渡辺洋三氏の意見書、表題は八〇「徳川期の土地所有制度について」、八一「近代的所有権の成立」、八二「三田用水路敷所有権の帰属について」)、及び乙八三(大阪地裁昭和四〇年(ワ)第一号昭和五一年一〇月一九日判決―いわゆる道頓堀訴訟一審判決判例時報八二九号一三頁)。甲九〇(三浦道義編「国有財産事務提要(国有財産編)」大村書店)

(二) 慣行(農業)水利権は、一定の水に対する特定人(個人、集団、法人)の灌漑用水としての利用の事実が継続され、それが合理的で正当なものであるとして社会的に承認を受けることによって生成した権利であり、一定の水に対する特定人の排他的独占的支配権である。不特定多数の人が誰でも流水を使っている場合には、流水の一般使用であって、これを水利権とはいわないのであり、特定性と排他性が水利権の要件である。人間は、自然の河川や池の水をそのままの姿では、灌漑用水として継続して排他的独占的に支配することはできず、そのためには、河川等の水源に井堰(現代ではダム)を設けたり、木樋(現代ではヒューム管)を埋設したりして取水口を設け、取水口から各田畑まで網の目のように用水路を掘さくし、あるいは貯水池を築く等、資本と労働を投下して水利施設物を構築して維持管理することが必要不可欠である。それゆえ、水利権の成立のためには、人工的水利施設物の設置、維持管理が必要であり、換言するならば、水利権とは水利施設物の排他的支配管理によって利用可能となる河川等の水源からの一定量の水に対する支配・利用権である(水利権と水利施設物との関係については、乙七九のほかたとえば渡辺「農業水利権の研究」一八三頁、二三四頁等参照)。

(三) さて、右に述べた水利施設物は、ごく小規模なものはともかくとして、有機的体系をなしているものが大多数であり、その性質上、通常、個人が設置、維持管理することはありえず、設置主体については封建領主との関係で若干問題はあるが(前記三2ニ)、その維持管理は、団体によって一定のルールのもとに行なわれざるをえないのであり、その団体(水利団体)については、前記二3(一)で考察したとおりであって、現に、法人格を有する土地改良区であるか、あるいは、旧村落共同体に由来する法人格を有しない慣行的水利団体(北岩延区もその一例である)であり、これらが上部団体、下部団体の関係にある場合も多いのである。水利権については次にみるように、その帰属主体について複雑な問題があるが、水利施設物に対する支配権が、水利団体の法人格の有無を問わず、構成員各自ではなく団体そのものに帰属すると解すべきである(この点ほとんど異論のないところである。但し、法人格のない団体についての財産権帰属という表現自体については、法律構成上問題はあるが、右表現と同一の帰結をもたらすように解釈すべきであることはほとんど異論がなく、さらに、本件においては、前記二3(二)で述べたところから、北岩延区なる水利団体が民訴法四六条の当事者能力を有しうる団体であることは明らかであるから、この点にはこれ以上立ち入らないで、以下「北岩延区の所有」あるいは「同区に権利が帰属する」という表現方法を採用することとする。)。

(四) 渡辺教授は乙七九において、水利施設物に対する支配管理権をも水利権の内容に含まれるとし、水利施設物の支配管理主体が同時に水利権の主体であり、水利権者とは水の供給主体であって、水の需要主体はこれと区別して引水権者といわれ、したがって、近代的水利権の体系においては、この両者が通常明確に分離され、土地改良区が水利権者であり、組合員が、引水権者であるが、法人格なき慣行的水利団体については、団体と個人とが分離せず、別個な法主体ではなく両者が混然一体となっているのが特色であるとしている。

しかし、同教授も別の著作(たとえば注釈民法(7)六〇四頁)では「引水権という意味における水利権」という言葉を使用したり、「個人もまた水利権者である」との表現を用いており、このことは裁判例、その他の文献においても同様である。そして、水利権の性質が論じられるとき、渡辺教授のいう引水権に着目すると、その用水地役権類似性がいわれ、水利団体を主体とする水利権に着目すると、その入会権類似性が指摘されてきたのである。ここでは、右両者を含む意味での水利権概念を否定するわけではないが、両者の性質の相異を考えて、一応乙七九の用語法を、以下採用することとする。また、法人格のない慣行水利団体の団体と個人の関係については、入会団体についてと同様、いろいろな考え方があるが、ここでは、水利施設物に対する支配権が問題であって、これについては、右(三)にみたような意味合において、一応右権利は水利団体に帰属するとしておけば足りると考えるので、立ち入らないこととする。

さて、水利施設物に対する支配管理権(以下とりあえず、これを「水利施設物管理権」と略す。)を渡辺教授(乙七九)のように水利権それ自体に含まれるとみるのか、それとも水利権と密接な関連を有するとはいえ別個の権利であるとみるべきなのか、水利施設物管理権は、水利施設物やその地盤敷地の所有権といかなる関係に立つどのような権利なのかなど、右管理権自体の検討は、水利権(及び引水権)の一定の水源との関係の側面ほどにはこれまでのところ行なわれていなかったように思われるが、これは、従来、水利権(及び引水権)をめぐる紛争といえばほとんど水そのものの奪い合いという性格のものであったことと、この水争いの当事者間においても、それぞれの水利施設物管理権自体は自明の前提となっていたからだと思われる。

しかし、本件においては、まさに右管理権の検討が要請されているわけであって、以下、この点に立ち入ってみることとする。

(五) そもそも、水利権(及び引水権)を慣習上の物権と認めてよいかは、物権法定主義との関係で問題はあるが、民法制定の前後を問わず、農業の生産様式に基本的変化がなく、我国において水に対する排他的支配権の承認なくしては農業生産は不可能であって、民法一七五条といえども、水についての慣行的権利をことごとく否認するものとは解しえず、民法施行法三五条も近代的所有権秩序に反する封建的権利を物権として認めないことを規定したにすぎないと解するのが相当であり、法例二条により水利権(及び引水権)は物権としての効力を有し、その侵害に対しては物権的請求権を行使しうるものと解するのが相当である(この点は、判例学説上、理論構成は別として結論的にはほとんど異論のないところである。)。

そして、先に述べたとおり水利施設物に対する排他的支配管理なくして水利権は存立しえないのであるから、水利権者の水利施設物管理権はどのように法的に構成するにしても、物権的効力を有する権利として考えられねばならないことになる。即ち、水利権を物権として承認しなければならないのと同一の理由により、このことが要請されるわけである。

(六) ところで今まで水利施設物という用語を使用し、取水施設、貯水池、用水路等を総称してきたが、ここで、これらが(特に用水路が)、地盤土地とは別個に所有権の客体となりうるのか否かを検討してみたい。

民法八六条一項に土地とその定著物は不動産とするとの規定があるが、従来、その解釈として、およそ池や溝渠は、土地の構成部分(土地と一体、土地の一部)であり、いかなる意味でも独立して所有権の対象とはならないとの考え方と、これらのうち特に人工の工作物であるもの(溜池、用水路等)については、土地の構成部分ではなく、鉄塔、石垣、沓脱石などとともに土地の定著物の一類型に属し、原則的には土地所有権の内容に含まれるが、場合によっては独立の所有権の対象ともなりうるとの考え方との対立がある。しかし、民法二六五条の地上権者は他人の土地に於て工作物又は竹木を所有するためその土地を使用する権利を有するとの規定中の工作物とは、建物、橋梁、道路、溝渠、池、銅像、テレビ塔、地窖、トンネル、地下鉄、高架路線そその他地上及び地下の一切の建造物と一般的には解されており、地上権者が人工の池や水路を他人の土地上に所有しうることは異論をみないのであり、その他、前記二つの考え方中後者が実情に則した目的論的な解釈を可能にすることも合わせ考えると、後者の考え方に従うのが相当である。

なお、池や水路については、物理的にみる限り、地盤土地との区別は困難であり、このことはコンクリート等の資材を使用しないで、単に地表を掘さくしたにすぎない水路の場合には特に著しいが、近代的土地所有権の抽象的、観念的支配権としての性質、及び、これら施設物が地盤土地と切り離しては存在しえず、取引の対象となることもないことを考えると、その地盤土地との物理的境界を確定する必要はなく、単に機能的にこれを把握しておけばよいと思われる。また、前記工作物の例示と合わせ考えると、ほとんどすべての水利施設物について、地盤土地とは別に所有権が成立しうると解される。

(七) 水利施設物に対する所有権は、その地盤土地所有権が水利団体に帰属する場合には、特にこれを観念する必要はなく、水利団体は、土地所有権自体により、水利施設物管理権を根拠づけ得るのであり、水利団体以外に地盤土地所有権が帰属するときに、はじめて地盤土地とは別個に、水利施設物の所有権の成立及びその帰属が問題とされるのである。

ところで、水利権は(二)で述べたように、一定の水に対する水利団体の排他的独占的支配の社会的承認により生成され根拠づけられる権利であって、水源や水利施設物の地盤土地所有権に基づく権利では決してないのであるから、地盤土地所有権が水利権者以外のものに帰しても、そのこと自体は、水利権には何らの法律的影響を及ぼさないし、このことは、水利施設物管理権についても同様であると解するのが相当である。

(八) 徳川時代の土地法の体系や明治初年の近代的土地所有権の成立については、後にも触れる(5(一))が、徳川時代には、一物一権主義はなく、また現実的支配を離れた抽象的観念的な所有権もなく、同一土地について重畳的に「支配進退」=「所持」権(ゲヴェーレ)が成立しえたが、地租改正に際し、一物一権主義に基づく近代的土地所有権の帰属を定める作業が行なわれ、右過程において、水利施設物の地盤土地が、すべて水利団体たる旧村などの所有とされたのではなく、官有地(国有地)としての取扱いを受けたものも多かった(乙七九)。その取扱い通りに真に官有地と認めるべきかについては、後述(5(一)(4))のとおり疑問はあるが、ここでは、地盤土地が真実官有地となったとした場合において、そのことが、従来からの水利団体の水利権、水利施設物管理権との関係でどのような意味を持つのか、検討してみよう(なお個人等の私有地とされたものもあるが、この場合も基本的には同じである。)。

まず、地盤土地と物理的には分かち難い用水路等の水利施設物の所有権が、地盤土地所有権とは別個に成立しうることは、前記(六)のとおりであり、水利施設物管理権は水利団体に帰属するとみるべきことは前記(三)のとおりであり、さらに、水利権と地盤土地所有権の関係等に関する前記(七)を綜合すると、これら水利施設物の所有権は、その設置者が幕府、藩等の公であり、しかもその後も公的な強い支配管理下におかれている場合(例外的だと思われるが)を除き地盤土地の官有地編入時において、これを最も強く支配していた水利団体に帰属するものと解するのが相当である(なお、土地についての後記5(一)(4)参照。土地とちがって地券との関係を考える必要はないし、土地の定著物についての権利は、土地についてほど複雑ではなく、徳川時代にも現代の所有権に近い権利があったとみてもよいのではなかろうか。)。

そうすると、水利団体は官有地上に水利施設物を所有することになるが、その法律関係は、特段の取り決めや慣習がない限り、無償の地上権と解すべきである(地役権も考えられなくはないが、灌漑の利益を受ける田畑の所有者は引水権者であって、水利団体ではないため、水利団体は要役地を欠くことになり、無理であろうし、使用貸借では弱すぎる。また、地上権に関する法律第一条は明治三三年四月一六日より前の他人の土地において工作物を所有するためその土地を使用する者を地上権者と推定している。)。

逆にみるならば、以上の官有地上の地上権による水利施設物の所有という法律構成は、近代的所有権秩序成立以前から存する水利団体の水利施設物に関する権利を、できる限りそのままの内容で存続せしめるべく、近代的所有権秩序のもとでの諸権利概念によって組み立てられているにすぎないのであって、その成立及び存続の実質的根拠は、前記(二)、(五)に記載の水利権のそれと同じく一定の事実支配の社会的承認に求められるのである(なお、右地上権の対抗要件については解釈に工夫を要すると思われるが、官有地編入後の土地所有権の変動のない本件においてはこの点に立ち入る必要はないと考える。)。

このように考えると、水利施設物の所有権が水利団体に認められる場合における地盤土地所有者の権限は、極めて限定されたものであり、特に、施設物が水路のような場合は、ちょうど敷地いっぱいに建物所有目的の地上権・借地権を設定した地主が、土地に対し何らの事実的具体的使用権を持たず、土地に自ら勝手に立ち入ることすらできないのにも比すべきであって、地盤土地所有者といえども、水利団体の承諾なしに水路に変改を加えるのはもとより、これを使用する権限すら有しないことは明らかである。更にいうならば、地盤土地所有権者は、基本的に水利団体による水路としての利用が継続されているとみられるにとどまる場合には、その水路の利用・管理について何ら利害関係を有せず、水路の所有者たる水利団体やその承認を得ている第三者に対し、何ら容喙しえないものというべく、水路の管理に通常随伴する水利団体構成農民や第三者に対する架橋の許容などの権限は水利団体に専属するということになる(以上(六)ないし(八)については竹山(溜池の研究)特に三九ないし一〇六頁参照。)。

換言するならば、水路が水路として存在する限り、その地盤土地所有権は殆ど有名無実のものであるということができる。しかし、このことは地盤土地所有権が全く無意味だということを意味しない。水利団体を構成する農民の離農が相次ぐなどして、水路が必要でなくなり、水利団体が解散、自然消滅したり、水路に対する権利を放棄した場合には、地盤土地所有者は完全な土地所有権を得ることになるのであって、水利団体は地盤土地に対し、何らの権利も有しないことになるのである。(なお明治以前の水利施設物で例外的に水利団体に所有権が帰属しない場合や、比較的新しい施設物の創設や改修について地方公共団体等の関与がなされている場合の権利関係については、本件では問題とならないので立ち入らない。)

(九) 付言するに、水利権は、やはり文字どおり、一定の水しかも流動して止むことのない水に対する支配権というべきであり、このような水に対する支配権について民法典中に何らの規定もないところから、慣行的物権としての水利権概念が要請されるのであるが、水利施設物はこのような性質の水とは異なり、不動産であり、不動産についての支配権は民法典に詳細に規定されているのであるから、あたう限り、その諸権利をもって説明することを考えるべきであって、水利権と密接に関連し消長を共にするとはいっても、施設物に対する権利を水利権そのものと解する(つまり漠然としたまま水利権概念の中に埋没させる)のは相当ではないと考える。複雑多岐にわたる水利権をめぐる問題の解明につき、先にみた水利権と引水権の区別が有用であるならば、なおのこと、右の区別は重要であると思われる。なお、徳島市も反対同盟も、水路自体と水路敷地を区別することなく、それぞれの主張を展開しているが、この点は法解釈に属する問題であるから、当裁判所は、これにこだわることなく、以上のように解する次第である。

4  本件水路敷についての判断

(一) 本件水路敷を含む水路創設の時期については、明確でないが、明治初年かそれ以前と推認されること、右水路敷地については明治一三年当時誰からも地券の交付申請がなく、地券が交付されていないこと、明治二四年には、字桑添二三番ノ三用水路敷七畝一三歩の官有地第三種として地籍簿、地籍図に登載されていることは前記2チのとおりであり、長尾証言により、その後右地番は廃止され、他の水路とともに単に公図(旧土地台帳附属地図)上青線で表示されることとなり、現在に至っていること(但し、それ以外に官有地台帳等に登載されてはいないこと)が認められ、これらの事実は、他に格別の事情がない限り、一応右水路敷地が地組改正当時官有地に編入され、その後引き続き国有地とされていることを推認せしめるものといわねばならない。本件においては、後記(5(一)特に(5))のとおり、右水路敷が国有地ではなく、民有地(北岩延区の所有)とみうる余地もないわけではないが、一応、水路敷地所有権が有効に国有地とされていると仮定したうえ、本件水路敷に対して、国が有する権利と水利団体としての北岩延区が有する権利を前記3(特に(ハ))に述べたところに照らして、検討してみることとする。

(二) 本件水路を含む北岩延用水路の沿革については、前記2のとおりであって、地租改正当時において、直接的に維持・管理していた主体は旧北岩延村(区)であり、その創設の詳細は明らかではないが、本件水路についていうならば創設者は旧北岩延村(区)であると推認されるが、仮にそうでないとしても、以西用水全体については前記2ニのとおり、旧北岩延村(区)の強い独自性については前記2へのとおり、それぞれ解され、これらを綜合すると、前記3(ハ)に述べたところに照らし、本件水路敷部分の水路自体の所有権はその地盤土地が官有地に編入されたとしても、旧北岩延村(区)に帰属したと解するのが相当である(即ち、本件全証拠によるも編入時点までの強い公的支配等を認めることができない。)。

(三) 次に、本件水路敷が官有地第三種としての取扱いを受けるようになって以後の現実の管理関係についてみるに、右取扱いの開始時点は明確ではないが、この開始の前後を問わず水路の利用状況は変らず、旧北岩延村(区)の農民たちによって灌漑のため使用され管理されていたことは前述したところ(二3、三2へ、リ)から明らかであるが、本件全証拠によるも、旧北岩延村又はその農民らにおいて、官に対し貸借願を出したり、借地料や区入費等を支払ったとの事実は認められず、同様の取扱いを受けた北岩延用水路全体についても(旧北岩延村内において、地租改正当時、水路敷はすべて官有地第三種としての取扱いを受けていることは甲九七ないし一〇一により明らかであり、乙七三の国府町是は国府町全体の財産を一括記載したものにすぎず、右認定を覆すに足りないし、他に右認定を左右するような証拠はない。)、その管理の主体及び管理の態様については前記二3(二)ロに認定したとおりであって、本件全証拠によるも、本件の徳島市に対する使用許可に至る以前において、住民その他が水路を使用(架橋、排水)するにつき、国(管理者としての徳島県知事や徳島市を介しての)の許可等を受けたとの事実は勿論、その他国が水路をも含めてその敷地を所有している所有権者としての実を示すような行為に出たことがあるとは認められない(この点については後記5(一)(6)ロ後段との関係でこのような表現になっている。)。以上によると、前記3(八)に照らし、北岩延区は、本件水路敷部分の水路をその地盤土地に対する無償の地上権により所有しているものと解せられる。

(四) これまで述べたところから、本件水路敷が官有地に編入されたとしても、その持つ意味は完全な土地所有権が国に帰属したことを意味するわけではなく、水路そのものの所有権は北岩延区に残り、またそのための無償の地上権の負担を伴なう土地所有権、換言すれば水路が水路として存在する限り殆ど有名無実の土地所有権が国に帰属したにすぎないことが明らかである。そして、かく解することによって、地盤土地所有権が国に帰属したとした場合の管理の実情(管理の欠如といっても過言ではない)がはじめて合理的に説明されうることになる。念のため、国有財産法との関係について考えるに、本件水路のように小規模で特定の農民集団がその田畑灌漑のために排他的に使用しているにすぎない財産が、行政財産(問題となりうるのは公共用財産のみである)でありうるはずがなく(長尾証言中に行政財産と思うとの供述があるが、これは単に意見にすぎず、行政財産であるとする具体的根拠を欠き、他に行政財産であると認めるに足りる証拠はない。)、したがって、これは普通財産であると解するほかない。普通財産には、私権を設定することはできる(国有財産法二〇条一項)とはいえ、その無償貸付については、その相手方を地方公共団体に限るなどの厳格な規制が定められている(同法二二条)が、これは、水路敷地についていえば、水路を含む完全な土地所有権が国に帰属したことを前提として、これに賃借権等の私権を設定する場合の制限であって、本件水路敷のように、もともと国には地上権により大幅に制限を受けた地盤土地のみ(水路を除く)の所有権が帰属したにすぎないと解される場合については、右制限の前提条件を欠くことになるのであって、前述のような結論は、一応現行国有財産法とも整合しえないではないと解される(なお、現行国有財産法の沿革をみると、明治二三年一一月二五日勅令第二七五号官有財産管理規則等にさかのぼるが、これらの法令との関係については省略する。しかし、この点は、いままで述べてきた結論を左右するものではないことを付加しておく。)。

(五) 徳島市は、ごみ焼却場建設のための水路使用は、水路の効用を妨げないように架橋して使用することを前提としているので、水利権者に対し何らの話がなかったとする反対同盟の主張は失当であると述べている(A7)が、右徳島市の主張は、水利権をどのような概念として把握しているか必ずしも分明でなく、文脈からすると各農民の引水権のことを指しているようであるが、その主張は水利団体(北岩延区)が水源たる河川(鮎喰川)に対して有する権利と人工の水利施設物(本件水路等)に対して有する権利とを混同するものである。即ち、北岩延区は、延命の取水口に流入する水量、水質に影響しない限り、鮎喰川に関する工事に対し何らの発言権を有しないのであって(水源からの一定の水について排他的権利を有するにとどまる)、たとえば、取水口のすぐ上流に第三者が架橋する場合など水利権の侵害にならないことはいうまでもないが、自分たちの手になる人工の水利施設物たる水路については、これと全く様相を異にし、北岩延区は前述のとおり排他的支配管理権を有するのであり、水路の水流を妨げるときは勿論、妨げないような態様の第三者の工事等に対しても、その中止を求めうるのである。

(ただ、水路への架橋等で水流を全く妨げることのない工事に対し、水利団体が、水利施設物管理権即ち地上権付施設物所有権に基づいて、妨害排除や妨害予防請求権を行使することが、一定の事情のもとに権利の濫用と認められることはありうるが、本件においては、使用許可にかかる本件水路敷(長さ一〇メートル)いっぱいに架橋することが直ちに水流には影響しないにせよ、水路の掃除その他の維持管理行為の妨げになりうることは明らかであり、また性質上その橋が短期間に撤去されるとは考えられず、半永久的なものとなるだろうと考えられるという事情があるし、そもそも徳島市は徳島県知事の使用許可という全く別角度からその使用権を主張し、水利団体たる北岩延区を相手方としておらず、また当事者でない北岩延区のそのような権利行使が問題になっているわけではないので、この点にはこれ以上立ち入るまでもない。なお、後記(七)参照。)

(六) 以上によると、本件水路敷については北岩延区が水路も含む完全な土地所有権を有するか、仮にそうでなくて地盤土地が国有地であるとしても北岩延区が地盤土地に対する地上権により水路自体を所有し、その排他的管理権を有しており、いずれにせよ国には本件水路敷について、自らの使用権限もなく、まして他人にその使用を許可する権限はないのであって、徳島市が、国に管理権ありとした場合の法制上の管理者とされている徳島県知事から使用許可を受けたからといって、本件水路敷について何らの使用権限も取得することはありえず(国に対する債権的請求権ならば、あるいは認める余地はあるが)、徳島市の第四四号事件申請中、本件水路敷に対する使用許可による使用権に基づいて反対同盟に対し団結小屋の収去及び本件水路敷の明渡を求める部分は、右使用権の疎明を欠き、その余の点につき判断するまでもなく却下を免がれない。

(七) 以上、当裁判所は、徳島市の使用権限の有無という視角から、その前提となる国の有する権限を検討したわけであって、やや複雑ではあるが、北岩延区の水利権等に深入りした前項までの検討は、所有権の帰属を問題にするのと同様の論理的構造を有しているのである。即ち、ある権利に基づくとする請求を受けた者(反対同盟)が、その権利がもともと第三者(北岩延区)に帰属し、請求者(徳島市)の前者(国)に帰属しないことを有効に主張しうることは明らかであり、反対同盟の主張4をそのような主張として把握し、検討したわけだが、その結果が、一刀両断的な所有権の一方への帰属の決定という単純な形態をとらないで、双方ともに一定の権利を持つが、その相関関係により、それぞれの権利の内容が決定されるというやや複雑な形態をとったにすぎないわけである。

しかし、角度を変えて、前者たる国(県知事)と徳島市との間の関係即ち本件使用許可を検討すると、これによって所有権そのものは勿論、管理権が移転したとは到底解しえない(徳島市もそのような主張はしていない)のであるから(反対同盟の主張5)、徳島市は、国にどのような権利があろうとも、第三者に対する物権的請求権を有しえず、したがって水利権等に深入りするまでもなく、極めて単純に同一の結論になるのではないかとも思われるが、当裁判所としては、必ずしもそのように、割り切るには疑問が残ると考えた。この点は、これまで留保した地盤土地の所有権関係とともに、すでに前項(六)で述べた結論には影響しないとはいえ、項を改ため若干の検討の跡を記しておくこととする。

(なお、右に述べたような地上権付水利施設物所有権という構成をとった場合地盤土地所有権を有する国は北岩延区が水路を所有し管理する限度において、その所有権の制限を受けるにすぎず、北岩延区といえども、本件水路敷について水路ならぬ団結小屋を構築する権利を有せず、国は北岩延区が所有者であれ、反対同盟が所有者であれ、その所有権に基づいて団結小屋の収去を請求しうると解する余地があるが、これは使用権限とは無関係であって、所有者たる国のみに属する権利である。念のため、主張はされていないが、徳島市が右権利を債権者代位権等の法律構成により代位行使できないかを考えてみるに、他にもいろいろ問題はあるが、北岩延区が全くの無権限者であればともかく、(六)までに述べた国と北岩延区の実体的権利関係からみて、徳島市は基本となる自己の使用権を根拠づけ得ないことになるので無理であろう。)

5  その他の問面点についての若干の検討

(一) 本件水路敷の地盤土地所有権について

(1) 近代的土地所有権の確立過程について

乙七九(渡辺意見書)に照らして考えると、次のとおり理解するのが相当だと思われる。

イ 徳川時代における土地法の体系は、講学上ゲヴェーレと呼ばれる封建法の体系であり、近代的所有権の体系と異なり所有権と利用権、所有権と占有権の分離が未だ見られず、土地を現実に支配進退し、あるいは所持しているものがゲヴェーレを有しており、したがって地盤所有権の帰属が現実的支配を離れて抽象的観念に決定されることはなく、同一土地に対し、その支配進退、所持の度合いに応じて重畳的にゲヴェーレが成立しえた。つまり、一物一権主義という観念はまだなかった。

ロ 明治期に入って、地租改正による近代的土地制度の確立に際し、このゲヴェーレの体系を整理し、一物一権主義にしたがって(近代的)土地所有権の帰属を定めるということは、法観念の大きな変動を伴なう、複雑、困難な作業であり、地租改正関係法令も迂余曲折を経ている。

ハ 一般的には、徳川時代に現実に土地を支配進退していた者に所有権を与えるという大方針が横たわっており、これが、自作農地や宅地についてはほぼその通り貫かれたが(但し、地主と借地人のどちらに所有権を付与するかなどの大問題もあった)、周知のとおり、公有林野については、村持山としての入会山の所有の帰属をめぐり、民有の証拠があるかどうかが争われ、その解釈が右大方針のもとに全国的に統一されず、官民有区分が各地によりまちまちに行なわれたという混乱がみられるなど、すべての土地について、右大方針が貫徹されたわけではない。

(2) 水路敷地に関する地租改正関係法令の検討

乙七九の関係部分を要約する形をとりつつ、地租改正過程における水路敷地の所有の帰属をめぐる法令を検討すると、次のとおり理解される。

イ 地券は当初、売買譲渡の都度発行されていたが、明治五年七月四日の大蔵省達第八三号によって、早急に地券を付与するように命令が出され、その一般地券発行のための手続的規定として同年九月四日の大蔵省達第一二六号、同年一〇月の同第一五九号により、従来の規則に大増補、更正がなされたが、この中に堰料・堤敷・道敷・川床敷などの潰れ地で高内永引になっているもの及び墓地は無税地とするという規定(二九条、三〇条)がみられ、水路敷地を無税地とする考えは、地租改正の最も初期の段階から出ている。

ロ 明治六年三月二五日太政官布告第一一四号「地所名称区別」が公布され、これによると、全国の土地は八種類に整理され、地券発行地と地券不発行地に大別され、前者は、官庁地、官用地、公有地、私有地で地租改正の対象となるが、後者は皇宮地、神地、官有地、除税地で地租改正と関係ないものとされた。この中で水路敷地に関連がありそうなのは、官有地と除税地である。

官有地の定義は「各所公園地山林野沢湖沼ノ類旧来無税ノ地ニシテ官簿ニ記載セル地ヲ云」とあり、「右地所ハ政府ノ都合或ハ人民ノ願ニヨリ之レヲ売買スル等総テ大蔵省成規ニ従フ可シ尤地券ヲ発スルニ及ハスト雖トモ其坪数地方官ノ帳簿ニ書載シ置ヘシ」となっており、ここでの官有地は現在の国有財産法上の国有という概念とは全く異なっており、官有地は官庁地や官用地の地券発行地とはちがい、地券不発行地であった。

除税地は、「市街郡村ニ属スル埋葬地制札場行刑場道路堤塘及ヒ郷社寺院ノ類当分此部ニ入ル」、「右地所ハ地券ヲ発セサルモノトナシ其地方庁ニ於テ坪数ヲ検シ其帳簿ニ記載スルノミトス」とあり、地券不発行地とされている。

これによると、「地所名称区別」においても、先の大蔵省達と同様、水路敷地は、官有地でも私有地でもなく、ただ除税地として扱われ、地租改正には関係ないものとされたわけである。そもそも、地租改正は、その出発点において、土地所有権の確定それ自体を目的としたものではなく、租税政策を本来の目的としたものであり、それに必要な限りで土地の権利関係を明確にするという課題を担うものであったから、この時点では、除税地についての所有権の帰属を厳格に考えなかったわけであり、したがって未だ官有地・民有地の区別も明確になっていない。

ハ 明治七年一一月七日に公布された太政官布告第一二〇号(「地所名称区別」の改正布告)により、全国の土地は官有地と民有地に区別されるに至り、官有地は第一種(皇宮地、神地を含む)、第二種(皇族賜邸、官用地を含む)、第三種(後述)、第四種(民有でない寺院学校病院等)に分けられることとなった。ここでの官有地の概念は、前年の旧布告における官有地の概念とは全く異なったものとして使われており、はじめて、民有地に対応する法概念としての意味を持つに至った。

旧布告の官有地は新布告では官有地第三種に該当するが、この官有地第三種は極めて広い内容を持ち、民有地に入らないものはほとんどこれに含まれるような規定になっている。関係部分をみると「一、山岳丘陵林藪原野河海湖沼池沢溝渠堤塘道路田畑屋敷等其他民有地ニアラサルモノ、、、、、一、人民所有ノ権利ヲ失セシ土地」とある。

一方民有地は第一種(個人所有の耕地宅地山林等)、第二種(人民数人或は一村所有の確証ある学校病院郷倉牧場秣場社寺等で官有地でない土地)、第三種(民有無税地)に分けられた。

ニ 公有林野の帰属について、それが民有地第二種か官有地第三種か、「所有ノ確証」の判断をめぐって、深刻な争いがあったことは周知のとおりであるが、このように深刻に争われたのは公有林野についてであり、除税地ないし無税地たる水路敷地は租税政策と関係がないから、それが官有地第三種か民有地第三種かという論争は多くなく、この点では官も民もあまり関心がなかったといえる。水路敷についても公有林野と同様、「所有ノ確証」あるものは民有、そうでないものは官有という取り扱いになったが、官民双方ともこれを所有地とする実益に乏しく、また当時民の側には抽象的地盤所有意識はほとんどなかったから、多くの水路敷について所有権の帰属が明確でないまま、無税地扱いが続いた。

この点、もっと詳しくみると、公有林野については官有地第三種に編入されてからあらためて官地貸借の名義で農民に従前の用益を認めたという事例が多く、しかも官がその用益を次第に制限して問題化していったが、水路敷についてはこれを官有地に編入して法令の規定にしたがって貸借願を出させるということは、あったとしても、極めて例外にすぎなかったのであって、官の側にも水路敷が官有であるという考えは乏しかったと思われるし、他方民の側が、積極的に「所有ノ確証」を主張して民有地地券をもらうべく努力した例については全国的に殆ど報告がなく、民の側にも地盤所有意識はなかったというべきである。民の側としては、従来どおり水路の維持管理ができて、しかも敷地について無税地にしてもらえばそれでよかったのであり、積極的に地券を入手しなければならない必要はなく、また官からそのような指導もなされなかったと思われる。

ホ 次に、明治八年七月八日制定の地租改正事務局議定の地所処分仮規則があり、これは改租当局による土地の権利の整理処分に関する一般的な事務準則を定めたものであるが、地租改正の実施過程特に官民有区分の実際において、さまざまな処理がなされ混乱が生じたので、明治八年三月になって地租改正事務局が設置され、同局が統一的に法令の解釈権を掌握することとなり、その下で右仮規則が制定されたのである。この仮規則でも、道路・堤塘・養水溜・池・井手敷(水路敷)等はやはり民有の区別により官有地第三種又は民有地第三種とするという前述の一般方針は変わっていないが、小規模の水路敷については官有とする実益がうすいので、農業生産上の用途で一個人のためでなく数戸あるいは一村(旧村のこと)の便宜に供する水利施設は民有地のままで除税地とする方針を明確にしている。このようにして、公共の福祉に関係をもつ大きな水路・河川は別として、水利権のついている小規模水路は無税のままで、かつ、官の許可なく従来どおり民の慣習的管理に任せる方針が地租改正事務局の統一的な法解釈権限の下で確定した。

ヘ しかし、右仮規則は地租改正事務局の方針ないし政策にすぎず、国民や裁判所に対して法的拘束力をもつ法令ではなかったので、政府は、地租改正事務局の右の方針を法令にまで高める必要を感じ、明治八年一〇月九日公布の太政官布告第一五四号により、地所名称区別を追加改正し、民有地第三種として「民有ノ用悪水路溜池敷堤敷及井溝敷地」を明文の上で加えるに至っている。

明治七年の旧規定(前記ハ)では、民有無税地たる民有地第三種として墓地等が掲げられているのみであったため、あたかも水路敷は民有ではないような誤解や混乱が一部に存在したので、そうではなくて一村内部の農業用水路敷を民有のまま無税にすることが地租改正事務局の方針であることを、法令の上で明確に確認したのが右改正の経緯であった。即ち、明治八年の改正の趣旨は、改租当初の段階では不特定多数の公衆が利用する公共物としての河川敷・水路・道路等と、特定人のみが排他的に支配、利用する用水路・池・道路等との区別がつかなかったために、その両者ともに官有に含まれるような解釈・取扱いが一部になされていたのに対し、右両者を区別し、前者は官有とするも、後者(特に慣行水利権の主体たる旧村が管理する水利施設物)は民有とする方針を法規の上で明らかにした点にある。

ト その後、官民有区分がいよいよ本格的な実施の段階に入るや、明治九年六月一三日太政官布告第八八号によって地所名称区別が改正され民有地第二種が第一種に統合され、両者の法律上の区別がなくなったが、これに伴い、従来の民有地第三種が第二種に改められ、民有地は第一種(課税地)、第二種(無税地)と二種類に整理された。

(3) 本件水路敷の改租前後を通じての取扱い

本件水路敷の改租過程における取扱いは、すでに記したとおり(三2ヘトチ、三4(一)(三)参照)であるが、ここに要約すると、旧北岩延村においては、明治一三年二月五日村内の民有地についての地券の下付申請がなされ、同年六月一日地券が交付されたところ、村内の水利施設物のうち、祖母池の溜池ははじめから官有地とされ、五反地の溜池は大字北岩延村に対し民有地地券(民有であることは、徳島市の主張A10(三)中にあるとおりであり、前記二(二)イ参照)が交付されているが、本件水路敷については、村のものとしての地券下付申請もなく、遅くとも明治二四年までには官有地第三種(字桑添二三番ノ三用水路敷七畝一三歩の一部)として取り扱われることになっており、村内の他の水路敷地についても、(地番を別として)本件水路敷と同様である。その後、水路敷地については、地番が廃止され、単に公図上青線で表示されることになったが、現在に至るまで、諸種の公簿上民有地としての取扱いがなされたことはない。本件水路敷をはじめ村内の水路敷についての旧北岩延村(区)の農民らの支配利用の状態には何らの変動もなく、本件に至るまで、官の側において、貸借願を出させるなど具体的に管理権の行使とみられるような行為に出たことは認められない(なお、前記二2ロに記載の徳島市等の補助金交付は管理権の行使とみるには余りに微少である。)。

(4) 徳島市の見解の検討

さて、地盤土地所有権の帰属についてであるが、徳島市は、明治初年の版籍奉還及び上知命令により全土地は国有となったのであって、その後民有地としての地券の交付のなされていない土地はすべて国有である旨主張する。しかし、地租改正に先立って、全土地が国有となったとする議論は、領有権を、私法上の所有権と混同する暴論であると思われ、また、地券の持つ意味については、地券は所有権を創設する効力を有するものではなく、単に土地所有権を証明(公証)するにすぎず、したがって、地券の発行の有無やその交付の相手方が明らかになれば、直ちにその時点における所有権の帰属が絶対的に確定するものではないと解すべきことは、当裁判所も、前記乙七六、七七(これを三田用水路事件という)、乙八三(道頓堀事件)の裁判例に同調するものであって、徳島市の右主張は失当であると考える。

(5) 反対同盟の主張についての一応の評価

そこで、反対同盟側の主張の検討に移るが、要約すると、前記(1)ハの地租改正を通じての大方針(徳川時代以来土地を現実に支配進退していた者に所有権を与える)が何らかの事情(法規の誤解等)によって貫かれていない場合にも(右(3)でみたように地券の有無によっては所有権の帰属は確定しないのだから)、右大方針に従えば地券を交付されるべきであった者に所有権が帰属したものと解すべきだとし、それゆえ、地租改正当時当該土地について最も強い支配権(ゲヴェーレ)を有していたものが真実の所有権を取得したことになる、というものである。

このような見解は、それぞれ表現に若干の差異はあるが、三田用水路事件、道頓堀事件において下級審裁判例の採用するところでもあり、また、乙八〇ないし八二(渡辺教授)において力説されているところでもあって、前記(2)の水路敷についての法令の改正経過をも合わせ考えると、傾聴に値いし、軽々しく否定はできないと思われる。

そして、水路自体とその地盤土地を当裁判所が先に述べたように一応分けて考えずに、これを一体のものとして、単に水路敷として把握し、これに対する右にいうところの最も強い支配権(所有ノ確証)を有していた者は誰かを確定する作業をするならば、本件水路敷については、前記二3(二)、三2の事実に照らし、反対同盟の主張するとおり、それは水利団体としての北岩延村(区)以外にはないと解され、このような論法は、水利権に関係する三田用水路事件において、裁判例も採用するところであり、乙八〇ないし八二も同様である。

そうだとすると、本件水路敷は地盤土地も含めて、現在北岩延区の所有するところであるということになるのであって、当裁判所もこのような考え方を全く否定するものではないことは、これまで所有権の帰属についての結論を留保していることからも明らかであろう。

(6) 反対同盟の主張についての批判的検討

しかしながら、当裁判所は、前記のような水利団体の水利施設物に対する権利の分析(三3特に(六)ないし(八))を前提に、地盤土地所有権の帰属について考えてみると、右(5)の考え方及び結論には、次のような疑問を感じないわけにはいかない。

イ 水路敷地が官有地になったとしても、水利団体の水路に対する支配権が、地盤土地に対する地上権を伴なう水路所有権として存続し、官には現実的利用権限を伴わない抽象的観念的土地所有権が帰属するにすぎないとすれば、水利団体のそれまでの強いゲヴェーレは十分に尊重されているのであり、そのような水路が存続する限り殆ど意味をなさない(その時点では残りかすのような)地盤土地所有権の帰属を決するにあたっては、完全無欠の所有権を帰属させる場合のように、それまでの支配状況について厳密に考えなくてもよいと思われ、改租当時地券が交付されていればそれはそれでよいが、交付されていない場合には、水利団体の水路敷に対するゲヴェーレも水路自体の所有権等の根拠とはなりえても、ただちに地盤土地の所有権帰属を絶対的に裏付けるものとはなりえない(そのようなゲヴェーレがありえないとはいわないが、単に水路使用管理のみではなく、例えば本件の団結小屋のようなものを従来も建てたことがあるなどの地盤にくい込む形の非常に強いゲヴェーレでなければならないのではないか)と解してもよいのではなかろうか。

ロ 三田用水路事件では、問題の水路敷はずっと無籍地であって、公簿上も民有か官有かははっきりしないままであり、官有地編入処分の存否が否定されているが、本件水路敷は前記(3)のとおり、明治二四年以前から官有地第三種とされており、事案を異にすると思われ、現に渡辺教授も本件についての乙七九においては、所有権帰属問題について、乙八〇ないし八二のような前記(4)に要約される論法は採用していない。

思うに、地券の交付を求める者は、積極的に「所有ノ確認」を提出しなければならず、ゲヴェーレを有しておればじっとしていても地券が交付されたものではなく、交付申請の有無、申請者の提出した証拠、その証拠についての官の判断などのいかんにより、それまで最も強いゲヴェーレを有していた者に、必ず付与される保証があるわけではないことは、明らかであり、本来ならば地券の交付を受けえた者も、他人に地券が交付されたり、あるいは官有地とされて、他人あるいは官が所有者としての支配を及ぼし始めた後も、長期間にわたってこれを放置するときは、ついには、所有権を取得しえなくなり(喪失するのではない)、確定的に他人の所有地や官有地となるのではないかとも思われる(論理的にはやや不透明だが、根本的法秩序の変動に伴う権利の生成過程のことであるから、その点は仕方がないのではないか。)。

そして、弁論の全趣旨により、本件水路敷については、北岩延区の人々が水路自体の所有意識はともかく、地盤土地についてまでは明確な所有意識を有してはいなかったことは明らかであり、したがって、その水路の占有使用をもって、地盤土地の所有権者としてふるまっているとみることはできず(北岩延区の時効取得は問題となりえない)、他方、官の側についてみるならば、明治二四年以来公簿等において今日に至るまで官有としての取扱いを継続しているが、もともと、具体的利用権限を伴わない抽象的観念的な支配権たる水路地盤土地所有権なのであるから、微弱とはいいながらこれだけでも一応その権利に基づく最低限の支配は継続していたとみてもよいのではないかとも思われる。(乙七九で渡辺教授は、水路敷は形式的に官有になっているとしても、それ以後の支配・管理関係からみて、実質的には北岩延区の所有とみるべきであると結論しているが、形式的所有権、実質的所有権をそれぞれ、地盤土地所有権、地上権付水路所有権と置きかえれば、当裁判所の前記三4の結論と一致するのである。)

ハ 実際的にみても、前記三3のように解する限り、水路地盤土地所有権は、水利団体にとっては、水路をつぶしてその土地を宅地化する場合などにしか実益をもたないが、これまで長年にわたって形式的にもせよ官有地として公簿等で扱われ、農民らの所有意識もはっきりしていない土地について、水利慣行をよりどころとしてそのような実益まで確保させるのは、相当ではないと思われる。

(7) 結論を留保した理由

当裁判所は、以上のように地盤土地所有権の問題と水利団体の水利施設物に対する権利の問題とを密接な関連のもとに検討したわけであるが、結局のところ、前記については複雑困難な法律問題があり、かつ、地租改正前後の北岩延用水路や以西用水に属する水路の権利関係に関する史料的証拠がわずかしか提出されていないこともあって、断定を避け(なお、立証責任により処理できないかとも考えられるが、これについても国有地にまつわる複雑な問題があることを指摘するにとどめておく。)、本件においては、より問題は少ないと思われる後者についての前記結論のみで、徳島市の本件水路敷の使用権が認められないとした次第である。

(二) 本件使用許可処分の意義等について

徳島市は、徳島県知事から受けた本件水路敷の使用許可について、その法的根拠を国有財産法等を引用しつつ主張し(A11)、反対同盟はこれに対し、その主張5において、詳細にいろいろな問題点を指摘している。

本件水路敷が、国有財産だとして、行政財産か、それとも普通財産かなど、反対同盟が主張するとおり、本件使用許可処分の法的根拠についても検討を要する点は多いわけであるが、いずれにせよ、本件水路敷について国が完全無欠な所有権を有し、北岩延区その他第三者に何らの権利も認められないとするならば、徳島市が適法に本件水路敷を使用することが可能であるとの結論は動かないところだと思われるので、これらの点の検討は省略することとするが、反対同盟の主張のうちで、本件使用許可をどのように考えてみても、本件水路敷について徳島市が物権的効力を有する使用権を取得するとは解しえないから、使用許可による使用権に基づいて第三者である反対同盟に対し、団結小屋収去を求める権利を有しないとの指摘は、その限りではもっともであって、当裁判所も同様に考えるが、そうだとすると、これまで長々と本件水路敷の水利権等の権利関係について検討した点はすべて不要であることになりそうである。しかしながら、徳島市において明示的には主張していないとはいえ(但し、基礎となる事実の主張は出尽している)、徳島市が本件土地(ごみ焼却場予定地)について完全な土地所有権を有することは当事者間に争いがなく、徳島市は、本件土地を所有権に基づいて使用することを妨害する者に対しては、本件土地所有権に基づく妨害排除請求権を有する(但し、後に検討するようにいわゆる公害等の関係で有しない場合もあるが)のであるところ、ごみ焼却場建設並びに所有という所期の目的どおり、本件土地を使用するのに、本件水路敷の使用が必要不可欠であり、いうならば、本件水路敷は、本件土地にとってちょうど袋地に公道からの道をつけるための土地にも相当するものであることは検証により明らかであり(「図面(A)」参照)、本件水路敷の使用妨害は直ちに本件土地の所有権行使の妨害にもなるのであるから、徳島市は、本件水路敷について所有権等の物権を取得しなくても、真実の所有権者等から適法に使用しうる権限を与えられているのに、全く無権限の第三者から、その使用を妨害されるような場合には、本件水路敷についての使用権ではなく、背後に控える本件土地の所有権に基づいて妨害排除請求権を根拠づけうると解することもできなくはなさそうである(どうしても国あるいは徳島県知事による権利行使をまたねばならないとするのはいかにも迂遠な感がある。)。しかしながら、実際には、本件水路敷についての、先にみたような国と北岩延区の権利関係からして、本件使用許可により徳島市は本件水路敷について何らの使用権限をも取得しえず、他方、反対同盟はその排他的管理権限を有する北岩延区から団結小屋所有を承認されている(このことは弁論の全趣旨により明らかである)のであるから(なお、国との関係については前記三4(七)に付記したとおり)、本件において本件土地所有権に基づく物権的請求権が機能しうる余地はないと解される。当裁判所としては、このことを一応念頭において、やっかいではあるが、前記三1ないし4の権利関係の検討に立ち入ることとしたわけである。

四、第二ごみ焼却場についてのいわゆる公害問題

1  はじめに、

前記三でみた本件水路敷の権利関係からすれば、徳島市は反対同盟に対し団結小屋の収去及び本件水路敷の明渡を求めることは許されず、したがって、徳島市はさしあたっては、ごみ焼却場建設に着手することは不可能だと思われ、そうだとすると、徳島市のその余の申請(反対同盟に徳島市のごみ焼却場建設の妨害禁止を求める部分)については、その余の点について判断するまでもなく、仮処分の必要性を欠くことになりそうである。しかしながら、徳島市が現在本件土地を所有していることは当事者間に争いがないので、徳島市は本件土地の所有者として、その土地上に施設物を建てることはたとえそれがごみ焼却場であっても、原則的には自由に行ないうるものであり、第三者のこれに対する妨害を予防ないし排除しうるものであって、ただ例外的に、そのような所有権の行使としての施設物の建設自体やその後のその稼働によって、他人の権利を侵害する結果をもたらす蓋然性が高い場合に、当該他人との関係において、所有権の行使が濫用とされて建設が許されないと解されるところ、本件水路敷の権利関係の問題はこれと平面を異にし、本件土地への公道からの一接近方法の問題であり、しかも、主要には、反対同盟とは別個の団体である北岩延区との間の問題である。そして、北岩延区に水路地盤土地所有権が認められるにせよ、単に水路自体の所有権が認められるにせよ、徳島市としては、これから本件水路敷についての使用権を適法に取得するためにとりうる適切な手段がないわけではなく、また必ずしも本件水路敷に固執することなく、ごみ焼却場建設工事用の進入路を確保することが全く不可能であるとも思われないところである。これらの点に鑑みると、建設妨害禁止を求める申請について、前記三の結論から直ちに必要性なしとすることはできず、更に立ち入ってごみ焼却場建設やその稼働が他人即ち反対同盟の構成員らの権利を侵害し、現在の計画のままで建設することが、権利濫用として許されない場合に該当しないか否かについての判断を要するものといわねばならず、またこのようないわゆる公害問題についての判断は、仮に本件水路敷について徳島市に反対同盟に対しても対抗しうるような使用権が認められるとした場合の予備的判断をも兼ねうるので(後に判断する第八一号事件の関係もある)、以下、まず口頭弁論終結時点において維持されているとみられる最終段階における徳島市の建設計画及び公害対策の概要をみ、次に右を前提にしてなお反対同盟構成員らに被害を及ぼす蓋然性があるか否か、あるとしてその程度等を検討し、さらに、必要に応じて、徳島市の側の建設の必要性の緊急度、用地選定に至る事情、付近住民(反対同盟を含む)との交渉過程などにも順次立ち入ってみることとする。

2  徳島市の建設計画及び公害対策の概要

甲二四、二五、四一ないし四九、六一(小村祐男作成の陳述書)、六二の一、二(狩郷修作成の陳述書及び関連資料)、八九(徳島市清掃工場建設工事設計仕様書)、小村証言、狩郷証言及び桑野証言を綜合すると、徳島市は北岩延地区の本件土地に次のような徳島市第二清掃工場(ごみ焼却場)の建設計画を有し直ちに工事に着手しうる態勢を整えていること及びこれに伴う公害対策としては次のようなことをプランとして予定していること(実効性等については別)が認められ、右認定を妨げるに足りる証拠はない。

(一) 建設計画の概要

イ 敷地(本件土地)

総面積   二二、八四二平方メートル

うち清掃施設用地  一四、五四二平方メートル

(焼却工場二、四〇〇平方メートル、管理棟、道路、駐車場等一二、一四二平方メートル)

うち緑地運動公用用地  八、三〇〇平方メートル

ロ 工場建物  鉄筋コンクリート(地下一階、地上三階)

ハ 炉型式  機械化連続燃焼式(デ・ロール式)じん芥焼却炉

ニ 炉数量   九〇トン炉二基

ホ 焼却能力  日量一八〇トン(二四時間運転)

ヘ 工事請負者及び請負金額

基本工事 丸紅株式会社 五億八七〇〇万円(昭和四七年一二月当時)

追加工事 日産建設株式会社 三一一五万円(昭和四八年六月当時)

ト 炉の設計製造メーカー  日立造船株式会社

(二) 公害対策の概要

(1) 排煙による公害防止策

イ 煤じん対策

燃焼ガス中の煤じんをマルチサイクロン及び電気集じん機より集じんし、〇・一g/Nm3以下(設計値)とする。休日や修理のために工場を休止したあとの再起動時も効率のよいA重油バーナーで完全燃焼させ、不完全燃焼による黒煙発生を防止し、仮に発生しても右集じん装置により除去してしまう。また、煙突から白煙が出ることはあるが、その成分は水蒸気にすぎない。なお、一基あたりの排出ガス量の設計値は、徳島市指定の最高ごみ質一五〇〇Kcal/kgの場合で二三、七八〇Nm3/hであり、平均ごみ質は八〇〇Kcal/kgで、排出ガス量一三、一〇〇Nm3/hにすぎない。

ロ 有害ガス対策

排煙中に含まれる二酸化硫黄、塩化水素、塩素ガスについては、これらのガス除却装置が将来実用化段階に入った場合には、増設できる余地を工場内に取っており、当面の対策として、これら有毒ガスの主たる発生原因たるプラスチック製品の分別収集を予定している。

窒素酸化物については、これは空気中の窒素と酸素が九〇〇℃以上の高温燃焼する際化合して発生するもので、雰囲気温度が一〇〇〇℃以上になると急激に増加する傾向にあるといわれているのであるが、本装置では燃焼温度が七五〇ないし九五〇℃になるよう制御しているので、その発生量は非常に少なくなる。なお、窒素酸化物除去装置は、最近火力発電所で実験的に取り付け始められた程度で、他では実用化されておらず、本工場に取り付ける予定はない。

排煙中の有毒ガス中水溶性のもの(二酸化硫黄、塩化水素、塩素ガス、二酸化窒素)は、本装置が水噴射式ガス冷却装置及び高性能の集じん装置を備えていることから、ある程度水に溶けて落ちたり、水蒸気とともにばいじんは吸湿されるため、一そう排出量が少なくなると考えられる。

なお、一時さわがれたポリ塩化ビフェニール(PCB)は、現在全面的に輸入・製造が禁止されており、焼却炉には混入されないので、今後はこれによる汚染はありえない。

ハ 拡散効果

煤じん、有毒ガスについては、最も実用的で効果的な対策として、煙突によるこれらの拡散を考えており、煙突の高さは五八メートルとし、誘引通風機により秒速一〇メートルを超える速度で排煙を排出し、また排煙の温度は煙突出口で三〇〇℃以上で非常に軽いガスとなっており、広範囲に拡散してしまうことになり、計算によると最大着地濃度はいずれも基準値をはるかに下回わる微量となる。

(2) 排水による公害防止策

イ ごみ汚水対策

ごみ中の水分で水蒸気とならずにじん芥壕の底に溜まる汚水であるが、これはじん芥汚水槽に溜めてバキューム車で汲上げて、し尿処理場まで運搬して処理し、工場内処理や放流は一切しない。

ロ 燃滓を冷却した水の約三分の二は燃滓とともに、トラックで工場外に搬出され、残りの三分の一は循環再使用されるので、通常時には排水の必要はなく、年に一、二回の総点検時には水を抜くことになるが、そのときは燃滓冷却水槽及び廃水貯槽に溜めたのち、ごみ汚水と同様バキューム車でし尿処理場に運搬して処理し、放流することはない。

ハ 生活汚水、雑汚水対策

生活汚水としては、浴場排水、し尿水洗水、湯茶排水、洗濯排水があり、その他の汚水としては床洗滌排水と洗車(ごみ収集車)排水があるが、特に洗車排水には油と水の比重差を利用した油水分離装置をつけて油が洩れないようにし、これら汚水を本格的浄化槽で処理し、県の放流基準であるBOD六〇PPM、SS一二〇PPM以下であるBOD二〇PPM、SS六〇PPMくらいにして放流する。その放流量は日量五〇トンないし六〇トンになる予定である。

(3) 悪臭対策

イ ごみ収集車による臭気

ごみ収集車からの臭気は、じん芥壕に投入するために蓋を開けている間に発生するが、この臭気は次に述べるとおりじん芥壕に吸込まれるので、外部に出ることはなく、その他の場合は蓋を閉めているのであまり臭いはせず、汚れたときや一日の作業終了時には洗車場で洗滌する。

ロ じん芥壕内の臭気

じん芥壕の扉は収集車が入って来れば、自動的に開き、退出すれば自動的に閉じる方式を採用しているから、必要最少時間に限って開くことになるが、じん芥壕内は外気よりも圧力が下がる仕組みになっているから、その間も開いた口から空気が吸入されて、臭気が外部には洩れない。点検修理などの際で右圧力差が生じないときで、ごみ投入の必要のある時は、プラットホームに設備してある悪臭中和用薬液散布装置を用いて悪臭が外部に出ないようにする。

ハ その他の臭気

焼却炉内に送られた臭気は、炉内の高温のため分解し、煙突から悪臭が出ることはないし、デ・ロール式焼却炉は完全燃焼させるため壕内で燃滓が腐敗して悪臭を発するようなことはない。

(4) 騒音

押込送風機と誘引送風機の排風音がその源として考えられるが、音量は機側で八〇ないし九〇ホンであるが、鉄筋コンクリートの壁で囲まれた建物内に収納されており、建物から四〇メートルも離れると四〇ホン以下になると思われる。

(5) その他

振動による被害は考えられないし、必要な水は、上水道を使用するので地盤沈下や地下水減少の心配はない。近隣の井戸等に何らかの悪影響が出る場合は徳島市は簡易水道を設置する考えがある。

3  公害の蓋然性

(一) 予定地の立地条件

本件土地から約四〇〇メートル以内に反対同盟構成員(木村清ほか一五八名)が居住し、中にはわずか二〇メートルの近距離に居住する者もあること、これらの者らの多くは打ち込み井戸により生活していることは当事者間に争いがない。

《証拠省略》によると、本件土地周辺地域一帯は都市計画法に基づき市街化調整区域に指定されており、急速なベットタウン化は望めないにせよ、徳島市街地と近距離にあるため、徐々に住宅が増加しつつあるとともに、同時に古くからの田園地帯で米作とともにホーレン草、大根などの野菜生産地であり、本件土地から四〇〇米以内の範囲には、反対同盟構成員らの住居のほか田畑が存在すること、本件土地は北岩延用水路に取り囲まれており(本件水路敷はその一部)、大がかりな送水パイプ等の設備を計画しない限り、ごみ焼却場からの排水は、北側の用水路に放流し、別紙(三)「図面(A)」のC点(本件土地の北西角より約一〇〇メートルの地点)でこれを連結する逆瀬川を通じ、さらに飯尾川、吉野川へと流れることを期待するほかないところ、北側の用水路(これも通称逆瀬川とされることがある)は、川というにはほど遠い容量の少ない一見沼地のような水路であって、大体いつも水は停滞気味であり、灌漑時には、北岩延地区の農民のほか南岩延地区や不動地区の農民(反対同盟構成員を多数含む)も、飯尾川に堰をして(別紙(四)「図面(B)」の②地点)、その水をして逆瀬川を逆流させ、北岩延用水路等に導入して、田畑の灌漑に利用しており、その故に逆瀬川なる名称が生じたとのことであり(前記三2ヘト参照)、焼却場からの排水が飯尾川方向へ流れることは期待できず、本件土地は適当な排水河川に欠けるという難点を有していること、国府町自体が低地帯であるうえに、本件土地のある北岩延地区はその中でも低い部類に属し、浸水常襲地帯であり、近年もしばしば水没し、県道の交通は不能となり、ボートでの往来を余儀なくされたが、今後も同種の水害が予想され、浸水した場合には本件土地及びその北側が遊水地帯になることがそれぞれ疎明され、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二) 本件における公害の蓋然性判断の枠組

乙四七(大阪市立大学教授大志野章作成の鑑定書)や大志野証言を俟つまでもなく、現在の技術水準では、前記2(一)程度の規模のごみ焼却場施設が稼働することになれば、排煙、排水、悪臭、騒音等による諸種の環境汚染・被害が周囲に及ぶことは不可避的といわねばならず、それゆえ各地において、ごみ焼却場建設をめぐり付近住民との間にいろいろな問題を生じているわけである。ところで、すでに稼働している施設による公害については、その程度についての立証は比較的容易であるが、本件のように、建設予定の施設による公害の程度を正確に予測し、その立証を尽くすことは、設置に反対する住民側には極めて困難であり、したがって、住民側としては、当該施設の規模・性質及び立地条件からして、自己らに受忍限度を超える公害被害の一般的抽象的蓋然性があることを立証すれば足り、右立証がなされた場合には、建設者の方で、右のような蓋然性にもかかわらず、当該施設からは受忍限度を越える公害は発生しないと断言できるだけの対策の用意がある旨の立証を尽くさない限り、その建設は許されないものと解するのが相当である。

本件における第二ごみ焼却場については、前記2(一)のその規模等や前記3(一)の立地条件からみて、受忍限度を越える公害の蓋然性は単に一般的抽象的なものにとどまらず、相当高度に具体的であると認めるのが相当であって、なおのこと、徳島市の方で、十分な公害対策を用意し、各種公害があるとしても受忍限度以下に抑えることが確実に可能であることの立証が要求されるのであり、以下この立証が尽くされているか否かの検討に移ることとする。即ち、前記2(二)の徳島市の公害対策について、それで十分か否か、その実効性等を検討することになり、反対同盟側のこの点に関する立証はこれらについてどの程度弾劾的意義を有しうるかという角度から評価すれば足りることとなる。

右の検討にあたっては、単に理論上、設計上の計算でこと足れりとすることはできず、同種設備の稼働状況の実態が重視されねばならない。とりわけ、ごみ焼却場については、ごみという焼却対象の種々雑多性から、品質、分量が一定している化学工場などの公害予測とは性格を異にし、正確な予測は困難であり、机上の設計どおり稼働しうるか否かが問題とされねばならない。

次に、仮に設計どおり完全に稼働すれば問題がないとしても、設備能力の低下、故障によるトラブル発生の蓋然性が相当程度あるとすれば、そのようなトラブル時における公害対策も慎重に検討されねばならないと思われる。また以下各個に検討する公害も綜合的に環境汚染・破壊に結びつくのであり、これらを一個の総体的複合的公害として把握すべきであることは勿論である。

なお、本件においては、後にみるとおり反対同盟側から各地のごみ焼却施設の稼働状況及び近隣への公害についての証拠が提出されているが、一つの考え方によると、どのような公害が発生しているにせよ、それらの各地では施設が稼働しており、差止がなされているわけではないので、これらの証拠は、本件ごみ焼却場設置を事前に差止める根拠とはなしえないということになりそうであるが、当裁判所はそのような考え方は採用しない。一旦ある施設が建設され稼働し始めた後、その差止を認めることは、建設者に莫大な犠牲を強いるものであり、種々の利益較量からして、よほどの公害でない限り認容することは困難であり、付近住民としては損害賠償あるいは移転補償を要求しうるにとどまることが多いと思われるが、建設計画段階においては、これと利益状況を異にし、建設者側が仮に用地取得等に莫大な費用を費やしているとしても、用地そのものは他に利用可能な状態のまま残されており、事前差止を認められたからといって、施設建設に資本を投下している場合に比べるとはるかに損害は少ないと思われ、一般的には他へ計画変更が可能であって、他方、住民側としては、社会通念上受忍限度を越えるとみられる公害被害を甘受する義務はないのに、万一、不充分な公害対策計画のもとに施設が稼働をはじめ、被害が現実化しはじめても、その時点では容易に差止は認められないということになるのであって、事前に公害被害の危惧を払拭してもらう必要性は切実である。したがって本件においても、徳島市が、受忍限度を越えるような公害被害を及ぼさないことが確実である旨の立証を十分に尽くさず、反対同盟構成員らが受忍限度を越える被害を受ける蓋然性が否定できないことになれば、そのままの計画で徳島市がごみ焼却場建設を行うことは許されないものと解するのが相当である(但し、施設の公共性等との関係については後述する。)。

(三) 徳島市側の証拠に対する一般的評価

(1) そこで、右(二)にみたところから、徳島市の公害対策(前記2(二))について検討するが、徳島市提出の全証拠をみるも、公害予測及びその対策に関する証拠としては、前記甲六一及び小村証言並びに甲六二の一・二及び狩郷証言即ち小村祐男、狩郷修両名の陳述書及び証言があるのみ(甲四六、四八、四九、八九中に簡単な記載があるが、その依拠するところは定かでなく、いずれも独立の証拠価値をもたないし、甲六三には六一と六二の一のやきなおしが記載されているにすぎない。)で、現段階における徳島市の公害対策は全面的にこの両名の意見に立脚していることが明らかである。そして両名とも結論的には、前記2(二)のように多種の公害に対し万全の対策が講じられており、付近住民に公害を及ぼす心配は全くないと断言している(両名とも反対尋問において若干崩れてはいるが)。

しかしながら、小村祐男は日立造船株式会社の社員でごみ焼却装置の設計関係の仕事に従事し、狩郷修は丸紅株式会社の社員で技術調査役をしている者であり、いずれも焼却炉等の販売メーカーの立場にある人物であり、その立場上公害問題について全面的に卒直かつ公正な意見を期待することは困難であり、両名の意見のみを鵜飲みにし、これに全幅の信頼を寄せることはそもそも危険だと思われる。

(2) 次に個別に見ていくと(この項の以下の叙述においては、特に、ことわらない限り、小村祐男については、甲六一及び小村証言自体により、狩郷修は、甲六二の一・二、狩郷証言自体により、それぞれの信用性に関する事実を認めるものである。)、まず、小村祐男については、ごみ焼却炉そのものの構造、性能については専門的知識を有してはいるが、反対尋問に対する証言により明らかなように、公害関係諸科学については全くの素人といっても過言でないくらいであり、窒素酸化物発生のメカニズムすら知らず、排煙による公害防止のために重要である電気集じん機やマルチサイクロンについても細かいことは他社が請負うからなどと逃げており、結局のところ、同人が確信を持って述べているのは、自社のデロール式焼却炉の優秀性、即ち安定してよく燃え、燃焼温度も七五〇~九五〇℃に保たれ、燃滓物が少ないということであり、それも設計値を強調するに止まり、長期使用による能力の低下や故障の場合のことには殆ど触れておらず、その公害対策として述べる部分も、同人自身の学識・経験・調査に基づくものでないものが多いと思われ(予定地からの排水先についてすら実地には見ていない)、全体的にその信用性、殊にその対策の現実の実効性についてそのまま信用することは到底困難であるし、炉の優秀性についての部分すら、その立場上宣伝臭が感ぜられ、全くそのとおりに順調に稼働するものと理解してよいかは疑問である(念のため、以上は、同証人を非難しているわけではなく、同人にその専門及び能力外のことにまでわたる過大な重責を徳島市が課していることを指摘しているものである。)。

(3) 次に狩郷修について検討すると、同人は丸紅入社前には京都市清掃局などに勤務し、二〇年間近く、ごみ処理施設の研究、技術指導にたずさわってきた者であり、専門誌に多くの論文を発表しているが、その中の一つである乙三五(セラミックス中の「ごみ焼却炉用耐火物の問題点をつく」と題する論文)には、自分は単なる現場実務者にすぎないため、理論的あるいは純技術的意見の開陳は到底出来ない旨の記載があり、証言を通じてみても、相当高度の自然科学の素養を要する公害問題について専門的に言及しうる立場にはないことがうかがわれ、統計等のデーターの処理にも不自然な点が多く、とにかく短絡的に無公害という結論を導く強い傾向を有していると認められる。

この点につき、いくつかの具体的説明を加えると、第一に、排煙中の塩化水素については、甲六二の一や主尋問において、プラスチック分別収集や石油ショックにより激減しており問題はない旨を昭和四七年度までの各地清掃工場での実測データのみを示し、かつごみ中のプラスチック含有率については昭和四八年度までのデータを示しつつ力説しているが、《証拠省略》により、甲六二の一執筆の相当以前に、東京都の昭和四八年度における塩化水素の実測データが公表されていたことは明らかであり、これによると、都内各地の清掃工場で前年度の一〇~二〇倍もの高濃度の塩化水素等が検出され、中には八六八PPMという高濃度も記録されているのであって、反対尋問において、まず、最初はデータが甲六二の一執筆当時には発表されてなかったとその場逃れを言い、次いで、右乙号各証を示されるや、知っていたが信憑性がないから採用しなかったなどと言を左右にしているが、東京都はこのデータに基づき直ちに塩化水素除去装置をつけており、右データ隠蔽について何ら合理的説明はなされていないといわざるをえない。

第二に、排煙中の煤じん量について、設計値よりも実際の排出量が少ない旨のことを数値で示すのに、設計値と実測値の比率につき、比較的成績の良い京都市の二工場についてはそのまま工場毎の二個の数値を足し、成績の悪い東京都の五工場については、その平均データを出し、これを一つとして加算し、その合計を三で割って、東京、京都の工場の平均値を算出し、これが五五・七%と出るや、〇・一g/Nm3(第二ごみ焼却場の設計値)にこれを掛け、第二ごみ焼却場の推定煤じん量を〇・〇五五七g/Nm3としているが、これは右の平均値の出し方の恣意性もさることながら、工場により設計値が異なっていること、即ち、京都二工場は〇・二g/Nm3とゆるやかで、東京五工場が〇・一g/Nm3と厳しく、前記成績の差はそれにも大きく左右されていることが明らかであることを全く無視し、世田谷工場で〇・一二g/Nm3のデータが出ていることを軽視するものであり、まさに、明白な数字のトリックといっても過言ではなく、同人があれこれ述べるところを仔細に検討しても、そのような計算の合理性を首肯することは到底できない。

第三に、排煙による公害を考えるうえに最も重要な設計上の排出ガス量の総量の計算根拠を全く示し得ないうえ、甲六二の一や主尋問では、ばいじんの排出基準は、国の指定地域か否か、連続炉の場合は排出ガス量が四万Nm3/h以下か以上かによって、それぞれ異なる(このこと自体は正当である)が、何の留保もなしに本件予定地は指定地外で、排出ガス量は四万Nm3/h以下であるから、〇・七g/Nm3が排出基準であり、設計値はその七分の一(実測ではさらに小さく八%。その計算については前述。)であることを強調しているが、反対尋問においてはじめて、四万Nm3/h以下というのは焼却炉一基について即ち一煙道についての排出ガス量であって、二煙道が一本の煙突に通じ、その煙突から出る排出ガス量は四万Nm3/hを超えることを明らかにし、細かい条例等の解釈は別として、実質的には、〇・二g/Nm3を規準と考えるのが正しい旨認めているし、更にいうならば、予定地の立地条件に考慮を払うことなく国の指定地か否かを絶対視していることも問題とされねばならない。

第四に、普通大気中に浮遊するじん埃濃度の許容限度は一〇mg/m3であると述べているが、その根拠、具体的説明は何らなしえていないし、一九五二年のロンドンスモッグ事件(死者約四千名)における数値との比較すらできないという基礎知識の欠如がうかがわれる。

以上は、同人の証言等のみによっても明らかな問題点であるが、反対同盟側の大志野教授(乙三七及び証言)については、その公害面を非常に強調する基本的考え方には異論はありうるにせよ、公害についての自然科学的素養、実務的経験も豊富で、データー処理についても特に疑問点は見当らないし、同人が提供するデータ、知識については、信頼性が高いと認めるを相当とするところ、狩郷修の述べる点について、大志野教授の述べるところと対比しつつ、さらに検討すると、第一に、塩化水素の除却装置は技術が十分に開発されていないが、大阪など条例で定めているから仕方なくつけているが、技術的良心から言えば、完全なものが出来てからつけるべきだと述べる点については、大志野教授によると、塩化水素はあらゆるガスの中でも最も除去の容易なものとして多くの化学工場で除却装置は二〇年近く前から実用化し、多くのごみ焼却場で稼働し、効能を発揮しているとのことであり、第二に、単なる都市ごみ位を焼却する程度の排煙を専門の化学工場のそれと同一視するのはおかしいと述べている点については、大志野教授によると、ごみ焼却場の排煙量は一つの化学工場のそれとは比較にならないくらい大量であるとのことであるし、第三に、ガス冷却の水噴射式は水溶性の有毒ガスの除去に役立ち、排煙中の有毒物質も少ないとしているが、大志野教授によると(この点は小村祐男も同様)、ガス冷却塔は九〇〇度前後のガスを四五〇度前後に落とすのであって、冷却水は瞬時に蒸発して気体となるのであって、この段階で有毒ガスが水に溶けて落ちることはありえないということであって、ますます、狩郷修の述べるところには不正確な点が多いと認められる。

(4) 以上、小村祐男、狩郷修両名の述べるところを検討したのみでも、徳島市側において、第二ごみ焼却場による多種公害を受忍限度以下に抑えることが確実に可能であるとの立証は何らなしえていないというほかなく、前記(二)に照らして考えると、さらに多種公害の蓋然性の判断に詳細に立ち入るまでもなく、公害の蓋然性の面からみて、徳島市の第二ごみ焼却場の建設が現段階において、許されないと解すべきことは明らかであるといわなければならない。

(四) 各種公害についての各論的検討

しかしながら、以下、念のため、反対同盟の構成員らが、こうむるおそれが強いと思われる多種被害のうち、特に証拠上明らかなものについて、若干検討しておくこととする。

(1) 排水による汚染

徳島市の前記2(二)(2)の公害防止策がその計画どおり実施できたとしても、ごみ焼却場からの雑汚水日量五〇ないし六〇トンをBOD二〇PPM、SS六〇PPMにして放流することだけは不可避であるところ、乙四七及び大志野証言によると、前記3(一)記載の放流先の状況を考えると、自然の自浄作用は殆ど期待できないし、BOD二〇PPMというのは、それ自体は悪臭ただようどぶ川の状態であるから、北岩延用水路、これに通ずる南岩延や不動地区の用水路、逆瀬川が次第にどぶ川化して悪臭被害を慢性化するうえ、灌漑用水としての効用を喪失することになるし、また排水中に含まれる窒素、燐分によって富栄養化し稲作に秋落被害をもたらすことが予想されると認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。この点を考えるだけで、徳島市が、周辺の水利団体(北岩延区ほか)や引水権者の同意もなしに、ごみ焼却場の建設を強行することが、いかに無謀であるかは明らかだと思われる(稼働に伴う放流が水利権、引水権の重大な侵害となることもまた明白である。)。

そのうえ、《証拠省略》によると燃滓汚水の循環再使用方式は、いまだ実用実験段階ともいうべきもので全国的にも工場例に乏しく、いずれも一、二年しか経過していないが、同方式を採用している山口県下松市の周南ごみ焼却場は操業わずか一年足らず、それも設計上能力の半分以下の稼働状況下において、トラブルを生じ、循環再使用を行えず、排水のすて場に困り海上に投棄する有様であり、同方式の群馬県沼田市の清掃工場においても、やはり一年足らずで、しかも設計上能力の二五%の稼働状況下において、トラブルを生じ、河川への放流方式に切りかえられていることが認められ(右認定を左右するに足りる証拠はない。)、したがって徳島市においても、操業後循環再使用方式に破綻をきたすことが、十分に予想されるが、そのような場合に他の方法がないからといって、放流を強行されるならば、前記の排水による被害が、なおのこと激化することになることは明らかである。

さらに、桑野証言によると、ピット汚水等の運搬先である徳島市のし尿処理場も早急に増設の必要があるとのことであり、処理能力に余裕があるわけではないことが認められるし(これは徳島市が自認するところでもある。B2(五))、バキューム車による運搬処理ができない事態が生ずることが十分に予測され、この際の放流についても前同様の大きな問題がある。

また徳島市は、塩化水素除去装置を将来必要とあらば設置する用意がある旨主張するが、《証拠省略》によると、一般に用いられる右装置には膨大な水の消費が必要であり、これを設置すれば相当量の汚水の放流が必要となると認められ、放流先を考えると、設置は事実上不可能というほかないし、仮に設置すれば、塩化水素は減少するも、排水による被害は計り知れないものとなろう(この点について、徳島市から具体的証拠の提出は何もなされていない。)。

(2) 排煙による汚染

《証拠省略》に照らして、次のとおり考えるのが相当である(一部分のみに関する証拠は当該個所で示した。)。

イ ごみ焼却場の排煙中には、通常の煤じん以外に、金属・重金属類(鉛、カドミウム、亜鉛、マンガン、ニッケル、クロム、鉄、水銀など)、イリタント(窒素酸化物、硫黄酸化物、塩化水素など)、難分解性の有機合成化合物質(PCB、フタル酸エステルなど)等各種の有害物質が混合しており、この点において、一般化学工場の排煙が単純で均一化しているのに比し、顕著な対照をなす。これらの各種物質の個々の毒性についてはある程度解明され、個々に排出基準が定められているが、これらの個々の物質について、仮に基準値以下の濃度であることの証明に成功したとしても、それだけでは、決して安全性を証明したことにはならない。なぜならば、近時、微量ではあるが多種類の有害物質の相乗作用の重大さが指摘され、その科学的実証的研究は緒についたばかりとはいえ、重大な被害発生の蓋然性があることは周知のこととなっているからである。つまり、ごみ焼却炉の煤じんを一般の煤じんと同様の排出基準で規制することは非常に不合理であると思われる。

重金属類や難分解性有機合成化合物質は人体影響のうえでも、土壤汚染のうえでもその蓄積効果が問題であり、仮に大気中濃度はごく低くても長年月の間には大きな被害を発生するほど蓄積する可能性は十分あるし、たとえば総排ガス量二万Nm3/h、煤じん濃度〇・〇五g/Nm3として、煤じんは一時間当たり一kg、年間(実稼働三〇〇日として)では七・二トン(第二焼却場からは後述の諸点を考えると、実際にはこれよりはるかに多くなる可能性が大きい)にもなり、これらの汚染のピークは発生源の近辺三〇〇~四〇〇メートル以内であること(但し、特殊な地形、気象条件下では別)がこれまでの観測データによっても明らかであるから、焼却炉排煙は近隣の環境に重大な影響を及ぼす危険がある(煤じん濃度〇・〇五g/Nm3が現在実用的に可能な最高の技術水準であって、未だ完全除去は不可能である。)。

ロ 徳島市は狩郷修の意見に依拠して、ボサンケ、サットンの公式(定常拡散式、プリュームモデル)を用いていわゆる最大着地濃度を算出し、これが環境基準内であるから安全だとしているが、右のような公式はある仮定の気象条件のもとにおける仮定の数値にすぎず、現実の平均濃度でも最大濃度でもなく、実際に出現する地上最高濃度(一時間平均)は桁ちがいに大きいと考えられる。

右のような定常拡散式は、すべて平担な地形の場所で、ある程度以上の風速をもつ一定かつ均一な気象的条件が持続している状況下における排煙の拡散をモデル化したものであるが、現実に高濃度が発生するのはこのような状況下ではなく、風速約二メートル以下で生ずる静穏スモッグと呼ばれる状況下、とりわけ最も頻度の高い逆転層形成時のヒュミーゲイション現象下において、著しいのであって、これらの場合には定常拡散式はあてはまらない。海岸線から一〇キロメートル近く内陸に入った平坦地である北岩延地区においては、風は平均的に弱く、また近くの観測データからみて逆転層を生ずることが多いとみられ、少な目にみても年間を通じて二〇%程度は定常拡散式があてはまらない時期があると推測される(気象関係につき、乙四九、五〇。なお徳島市が本件土地周辺の気象条件を調査したという疎明は何らなされていない。)。右ヒューミゲイション下の汚染モデルとして、安全側に評価する際にしばしば用いられる(最も高濃度に算出される)ホランドの式を用いて計算してみると、煤じんやイリタントは、環境基準をはるかに上回る最大着地濃度となることが明らかである。

ハ ごみ焼却炉は一般的に性能劣化の著しいものであり、ある性能があるということは常にその性能で運転されることを意味しない。電気集じん器については微粒子を捕捉する能力は高いが、一〇~数十ミクロンの粗大粒子、中間粒子は捕捉し難いという難点を持ち、ガス冷却が水噴射方式の場合、集じん極に付着したダストがハンマーリングしても落ちず、機能低下ないし故障を来たし常時運転はできない弱点をもっており、機能維持のため運転を中止し、集じんしないままの排煙を排出しなければならない(小村証言により集じん器を通さないバイパスがあることが明らかである)ことが十分に予想される。このことは、《証拠省略》により徳島市が無公害の最新式模範工場として見学を推奨した高松清掃工場において、電気集じん機は二四時間フル操業できず、故障率も高く、深夜や早朝には煙突から黒煙がもくもくと排出されていることが疎明される(徳島市から具体的反対証拠は何ら出されていない。)ことからも裏付けられる(この点については、乙七四により門真市においても問題が発生していることが認められる。)。

ニ、イリタント(刺激性物質)中塩化水素については、狩郷修の述べるところを検討した際に述べたところ(前記(三)(3))及び右イないしハを綜合すると、工場規制値をはるかに上回る高濃度の排出の蓋然性が高く、前記(1)末尾のとおり、現在の技術段階では、徳島市がその除却装置をつけようとしても、立地条件上無理があるし、これらのことは多かれ少なかれ窒素酸化物や硫黄酸化物についてもあてはまる。

これらイリタントは煤じんに吸着されたかたちで呼吸器粘膜に作用すると、相乗的に影響が大きくなり、慢性気管支炎、ぜん息、肺気腫の疾患の原因となる(この点については乙四五。)うえ、農作物ことに北岩延地区周辺の特産であるホーレン草などの葉菜類に害悪を及ぼす蓋然性も高いと考えられる(前記3(一)参照)。

(3) 悪臭

《証拠省略》によると、反対同盟の調査したごみ焼却施設は、焼却炉の型式を問わず、例外なく施設周辺に悪臭が漂っていたことが認められ、徳島市も前記2(二)(3)のような机上の対策を示すのみで、現実に理論通りに成功している実例を示しえないでいるうえに、乙三七及び大志野証言に照らし、理論的にも、じん芥壕へのごみ投入時の臭気は、送風機などでは到底防げないし、悪臭は収集車の洗車時にも発生しうるし、さらに施設の故障のことなど考えると、ごみ焼却施設から臭気をなくすことは実際上不可能に近いと考えられる。

(4) 浸水の際に予想される被害

前記3(一)に認定したとおり本件土地付近は浸水常襲地帯であるが、徳島市側において、このことを十分に考慮したうえ、反対同盟が主張するような被害を生じないようにするための具体的専門的検討を行なっているとの疎明はなされていないので、浸水の際にそのような被害発生の蓋然性は否定できないと考えられる。

(5) その他

騒音については徳島市から基礎的データも示されていないため、その程度を予測することは困難であり、残灰等の投棄などの蓋然性についてもいろいろと問題はあるが、各論的にみても以上(1)ないし(4)のような受忍限度を越える公害被害発生の蓋然性が認められるので、これらについては、判断を省略することとする。

4  公共性等建設を許容すべき特別事情の存否

(一) 特別事情について

右3にみたとおり、第二ごみ焼却場の立地条件は極めて悪く、反対同盟構成員ら付近住民に受忍限度を越える被害を及ぼす蓋然性が認められ、原則的にはこのような施設の建設は許さるべきではないところ、他方、この種施設が市民の生活環境の保全、公衆衛生の向上に奉仕する極めて公共性の高いものであり、徳島市は、地方自治法及び廃棄物の処理に関する法律によって一般廃棄物の処理を義務づけられていると解され(この点についての反対同盟の主張は採用できない。)、ごみ量が増加すれば、市内のどこかに建設しなければならない性質のものであることから、その建設場所を決定するにあたっては、いわゆる環境アセスメントを行ない、科学的に公害発生の蓋然性を検討したうえで、これらの観点からみた立地条件が本件土地より優れている土地(同一程度の条件の土地は除く)は、他にないことを確かめたうえ、その調査結果を周辺の住民に示し、公害防止対策や補償問題なども含めて、住民に十分に説明し誠意を尽して交渉していると認められる場合には住民に対する補償(特に被害の激しい者については移転補償を含む)の履行、操業開始後故障等により予定以上の有害物質を出した場合の操業中止等の措置の確約(公害防止協定の締結がより望ましい。)などを条件に、施設の建設自体は許容されるべきであると解する余地が必ずしもないわけではないと思われる。そこで以下、第二ごみ焼却場建設の必要性、用地選定の理由、住民(反対同盟)との交渉経緯について検討してみることとする。

(二) 第二ごみ焼却場建設の必要性

《証拠省略》により、場所の点はともかくとして、徳島市としては、その主張するとおり、ごみ量の増加、既設論田焼却場の処理能力低下等から、焼却場を新設する切実な必要に迫られていること、徳島市(ひいては市民)着工が遅れればそれだけ、建設費の値上り等の財産上の損害のほか、仮に、ごみの滞貨が生ずるようなことになれば、市民の健康な生活が脅かされ、金銭をもってしては替え難い損害が発生するおそれがなくはないと優に認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。

(三) 本件土地選定及び取得等の経緯

《証拠省略》によると、徳島市はごみ量の増加のほか、市内の交通事情などから、昭和四六年頃から徳島市西部地区(国府、不動、入田方面)に第二ごみ焼却場の建設を計画し、まず、国府町早淵地区の用地買収の話を進めたが、行き詰まったところ、徳島市議会議員板東亀三郎(国府町出身)からの本件土地の話を聞き地主と交渉した結果取得の見通しがついたので、申請理由A3に記載のとおり(但し、国府地区住民の大多数の同意を得たとの部分を除く)の諸手続を経て、本件土地を取得し、ここに第二ごみ焼却場を建設することに決定したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

しかしながら、徳島市が本件土地を用地として選定した理由として主張するところは要するに、地主の同意が得られたこと、田園地帯で近隣に比較的住民が少ないこと、及び市東南部の既設論田焼却場との関係で交通事情の面から都合がよいことに尽きるようであって、本件全証拠によるも、本件土地についての前記3(一)のような立地条件に慎重な考慮を払いつつ、公害の蓋然性を検討し、代替地の有無の検討をも含めた環境アセスメントがなされたとは到底認められないし、また、その主張自体からも、各種被害中殊に農業に及ぼす影響、排水と水利権・引水権との関係、本件水路等の権利関係については特段の考慮を払っていなかったことが明らかである。そして、徳島市がその公害問題についての主張の基礎としている甲六一、甲六二の一はいずれも本件仮処分申請時(記録上昭和四九年三月二七日であることが明らか)以後である昭和四九年七月二六日付であって、裁判所に提出するために作成されたものであることが明らかであり(先に検討したとおりその公害に関する内容の信憑性は疑わしいが)、本件全証拠によるも、本件仮処分申請以前に公害対策を科学的に検討した結果をまとめた文書を、徳島市が持っていたとか、文書にはしてないまでも確定的な内容をもった対策を十分に説明しうる用意があったと認めることはできない(なお、甲四六、四九、八九はいずれも簡単な記載でその作成時期、その依拠する基礎資料すら定かでなく、この程度のもののみで、住民を説得することは不可能と考えられる。)

なお、反対同盟は本件土地の選定の経緯につき、その政治的背景、早淵地区との適地性の比較、本件土地に水道管が埋設されていること(甲四一により明らか)による利益誘導等を主張(6(一))し、これについても立証活動をしているが、これに対し、徳島市からは、いずれの点についても特段の反証等はなされていない。しかし、この点については、深くは立ち入るまでもないところと考える。

さらに、実際に、本件土地よりも適地が存在するか否か、特には論田焼却場敷地への焼却炉の増設の可否につき、当事者間に若干の主張・立証の応酬がなされているが、当裁判所としては、本件土地の立地条件の悪さ及び右にみた徳島市の用地選定経過に鑑み、この点には立ち入るまでもなく、徳島市において、他に本件土地に優る土地はないとの疎明を尽くしていないことが明らかであると判断する。

(《証拠省略》により、反対同盟の調査した各地の施設はいずれも人里離れた山中又は、海や河川に面したところにあることが認められ、他の多くの地方自治体において、立地条件に相当な配慮を払っていることがうかがわれる。)

(四) 住民との交渉経緯の評価

(一)に述べたところと(三)を合わせ考えると、もはや、交渉経緯の詳細に立ち入るまでもないところであるが、念のため、特に重視さるべきだと思われる諸点を簡単に指摘しておくこととする。

イ まず、第一に何よりも重視されるべき点として、前記(三)に述べた調査不足等からも明らかなとおり、本件全証拠によるも、徳島市が反対同盟構成員らに対し、本件土地の適地性、他の適地の存否、公害の程度等についての具体的説明を尽くしているとは到底認められず、かえって、《証拠省略》によると、徳島市は、当初、地下水を取水し利用するうえ、排水はすべて用水路に放流する計画であったことなどいくつかの計画変更を行なっているが、変更後の計画すら前記3、(三)、(四)のような問題をはらむのに、当初の計画はこれよりもさらにひどいものであったこと、徳島市はただ公害は心配ないから建設を認めてほしいと繰返すのみで、計画の詳細を問いただすと担当者においてその都度異なった説明を行なうようなことがしばしばであったこと、反対同盟が環境悪化の見返りとしての市の開発計画の充実よりも、公害そのもののデータの開示を求めたのに対し、これに応じていないことが認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。

ロ 《証拠省略》によると、昭和四六年一二月一三日当時の徳島市長が北岩延地区反対同盟に対し、話し合いを進める間一方的に事を進めない旨の確約をし、さらに同日夜、建設費関係の予算を取り下げ、これは徳島新聞により北岩延地区の建設計画の白紙撤回と報道されたし、反対住民らもそのように理解していたが、その後、徳島市は反対同盟と正面から交渉することなく(個人的な意向打診などは別として)用地買収交渉を進め、昭和四八年一月、二月には地区住民の納得をえないままボーリング工事を行なおうとし(その結果前記二4でみた団結小屋の建築を招いた)、同年七月一六日にも強行着工を企るなど、隙あらば既成事実をつくろうとしたため、反対同盟構成員らに対し、強い不信感を抱かせたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ハ 《証拠省略》により、昭和四八年二月二二日告示、三月八日投票の徳島市長選挙に立候補した現徳島市長山本潤造は、選挙戦において第二ごみ焼却場を北岩延地区に設置することに反対の意向を表明し、前記二4中に触れたとおり、北岩延地区の反対派住民を激励したことが認められ(これらについては何の反証もない)、しかるに、同市長就任後も徳島市の着工の方針が変わらないどころか強化されるに至ったことも、反対同盟の徳島市への不信感をつのらせる役割を果たしていることが、《証拠省略》により認められる。

ニ 《証拠省略》による既設の論田焼却場は、敷地上に生ごみを山積みしているなどの醜状を呈しており、付近に悪臭を漂わせ、環境庁委託調査によれば塩化水素の排出濃度は三五二・一~五八一・五PPM(平均四五五・六PPM)であり、工場規制値の五〇PPMを大きく上回っているし、残滓についても平均一八PPMものカドミウムが検出されたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はなく、徳島市は公害を無視しつづけているとの印象を与えており、この点も反対同盟が第二ごみ焼却場が出来た場合の徳島市の運営について大きな危惧感を抱く一因となっていることが明らかである。

(五) 建設の許容性についての結論

以上(三)、(四)に述べたところからして、施設の公共性等から、公害の蓋然性にもかかわらず建設を許容すべき特別事情を肯認できないことは多言を要しないところであろう。

徳島市の主張中に、「国家百年の大計という言葉があるが、行政のヴィジョンは遠い将来まで見通して、これに対する実際的対応策を講じなければならない。」との言葉があるが(A8)、これはまさに至言というべきである。しかしながら、本件において見る限り、徳島市は市民のためのごみ処理という責務に追われるに急であり、これと共に、地方公共団体としては、焼却場により近隣住民に公害を及ぼさないように留意し、前記(一)に述べたような慎重な調査、交渉を行なわなければならない責務を有することを閑却したとみられても、やむをえないところであって、環境汚染問題に対する見通しを誤まったものといわねばならない。

前記(二)のような一般市民への被害の蓋然性は憂慮にたえないが、これも公害問題についての十分な配慮を欠いた徳島市の行政の不手際によって生じたものと見るべきであり、そのしわよせを反対同盟構成員らが甘受しなければならないとすべきいわれはない。当裁判所としては、徳島市が、問題の多い本件土地に執着することなく、適切な対応策を講じられることを切望するほかない。

五、結論

以上詳述したとおり、徳島市の第四四号事件申請は、すべて、被保全権利の疎明がないことに帰する。

第二  第八一号事件について

一、はじめに

第四四号事件について徳島市の申請が認められないとすれば、木村清ほか一五八名の第八一号事件はそもそも保全の必要性を欠くのではないかとの素朴な疑問も生じうるが、両事件は併合されているとはいえ別個の事件であり、それぞれ他方の帰結を前提としないで判断すべきものであり、また第八一号事件では、第四四号事件の大きな争点であった本件水路敷の権利関係、団結小屋の所有関係は全く弁論に上程されていないのであって、勿論その結論を保全の必要性の面で考慮すべきではないと解するのが相当である。

二、争いのない事実

地方公共団体である徳島市が本件土地に徳島市第二清掃工場(ごみ焼却場)の建設工事を進めようとして、第四四号事件仮処分申請に及んでいること、木村清ほか一五八名がいずれも反対同盟に加入している者であって、本件土地から約四〇〇メートル以内の範囲に居住していること、とりわけ、細井正良(93)、井原正行(10)、藤森幸治(94)、延原敏雄(26)、浜崎茂(91)、久保堅一(8)、喜多岩夫(92)、秋月信明(90)、古川勝弘(9)の九名は、本件土地に隣接(10、26、92、93、94)するか、極めて近くに(8、91は約二五メートル、90は約一〇〇メートル、9は約一三〇メートル)に居住しており、いずれも打ち込み井戸で生活している(26を除き焼却場が予定される以前から居住)こと、以上の事実は当事者間に争いがない。

三、公害の蓋然性及び建設を許容すべき特別事情の存否

右各点については前記第一の四に判示したとおりであって、反対同盟構成員即ち木村清ほか一五八名に対し、受忍限度を越える公害の蓋然性が肯認され、徳島市について本件土地に建設を許容すべき特別事情は認められない、但し、第四四号事件においては、これらの点は徳島市の権利(本件土地所有権)の濫用の成否との関連で考慮されたが、本件(第八一号事件)においては、木村清ほか一五八名の次記被保全権利に基づく差止請求権の成否との関連で考慮される。

四、被保全権利等

右二、三によると、木村清ほか一五八名は、程度の差はあれ、第二ごみ焼却場が建設され操業されることによって、健康上、財産上の被害を受け、その被害は受忍限度を越える蓋然性が高いことが認められるから、人格権、土地(宅地・農地)・建物(居宅・作業場)の所有権・賃借権・占有権、水利権・引水権に基づいてごみ焼却場建設工事の差止請求権を有すると解せられ、右建設計画が実施されようとしている以上、その差止を求める必要があると認められる。

五、結論

以上により、木村清ほか一五八名の第八一号事件申請中、建設差止を求める部分は理由がある。しかしながら、建設差止公示を求める部分は、被申請人徳島市が地方公共団体であることからして、その必要性が認められない。

第三  以上の次第であるから、徳島市の第四四号事件申請を却下し、木村清ほか一五八名の第八一号事件申請中、建設差止を求める部分を認容し、その余の部分は却下することとし、申請費用の負担につき、民訴法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 安廣文夫 裁判官 新井慶有 裁判長裁判官早井博昭は転任のため署名押印できない。裁判官 安廣文夫)

<以下省略>

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